逆の視点で経営者からすれば、彼の方こそ会社を搾取していたようにしか見えなかっただろう。この人物は正社員だったため、企業は仕事のパフォーマンスがどれだけ低くても簡単には解雇することができない。明らかに他の人材へ交代する方が良いにも関わらず、である。客観的に見れば被害者はむしろ、会社の方だったのではないだろうか。
また、「日本は税金が高くて国民を搾取している!」と怒り心頭でひたすら日本の悪口をいう無職のおじさんを見かけることがある。まずは享受している税サービス以上に、納税して然るべきではないだろうか?
もちろん納税額の多寡に関わらず、論理的に統計的観点から必要な是正策を主張することは正当な権利であるし、税の透明性の高い公平妥当な使途を訴える行動は必要である。しかし、単なる愚痴レベルの稚拙な不満をぶちまけることは、それを聞かされる周囲に新たな付加価値はない。「まずあなたが働いてからでは?」といいたくなってしまう人もいるのではないだろうか?
被害者意識が強すぎる人たちは、自分たちの権利を主張するばかりで自身の義務をおろそかにしているケースが多いと感じさせられてしまうのだ。
関わるとかえって恨まれる被害者意識が強すぎる人に対して、注意や助言をしても基本的に聞き入れられることはない。筆者はやんわりと気づきを促した人が猛烈な反発にあい、今度はその相手を強く恨むようになった光景を見た時にそう感じた。
ここからは推測の域を出ないが、被害者意識が強すぎるということは極めて主観的かつ客観性に欠けており、「自分の人生は自分の力でコントロールできるもの」という意識が薄弱と考えられる。彼らは「あの人/あの会社/あの国のせいで自分の人生は台無しにされた」という発言をすることが多いわけだが、「自分の力でいつからでも人生はどうにでもできる!他人や社会は関係がない!」という自責認識をする者からは絶対に出て来ない発想だからだ。
黙って去る被害者意識が強すぎる人を見ていていつも感じることは、「いやなら黙って去ればいいのでは?」という感覚である。
「会社に搾取されている!」と何年も何年も不満を言い続けるのは、論理的に時間とエネルギーの損でしかない。もしも筆者が同じ感覚を得たなら、即日で現行環境を損切りして次を探すだろう。自分が満足するような改善や変化が起こることを期待するのは時間のムダでしかない。no deal、すぐに損切りして次へ行けばいい。
人間関係についても同じだ。相手が自分の思うようにいかず、不満を感じるなら関わりをやめればいいのである。「会社員の立場だと逃げ場がない」と反論が返ってきそうだが、完全に無視はできないまでも、挨拶だけ、要件だけの淡白な関係性を維持すればいいだけである。実際、筆者が会社員の頃は本当に合わない人とは可能な限り関係を薄くして過ごしていた。
◇
…と散々色々と論じてきたが、もしかしたら筆者こそ「被害者意識が強すぎる人に、強い被害者意識を感じている人」なのかもしれない。仮に事実そうだったとしても、少なくとも被害者意識を表面化させないように心がければ解決する問題なのかもしれないと思っている。
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