日本の場合、選挙の時は一生懸命手を振ってくれますが、当選すると遠い人になってしまいます。地元に戻ってくる時も後援会の人たちががっちり押さえてしまい、一般の有権者が気安く話をできる雰囲気はありません。もちろん、先般の事件のようなこともありますのでみだりに一般の方との接点を持つのは危険だという考え方は理解できます。しかし、それでも当選したとたんに「センセイ」となり、クルマが付き、秘書がつくのです。まるで別世界。

こうなると有権者はまるでアイドルのコンサートに行くぐらいの感覚で遠くで応援する形になります。

以前、私は日本には士農工商は無くなったけれど「士」と「農工商」には見えない壁があると意見したことがあります。「士」は役人と政治家それぞれあるのですが、政治家に絞ってみると有権者は「あなたにお任せしたのであとはよろしく」的なところがあり、途中で意見することも討論することも原則ありません。

おまけに議員は「私としては皆さまの声を反映したいと思いますが、党としての考えもありますので…」という政党政治の殻から抜けられないのです。それならいっそうのこと、〇〇党にふさわしい人を選挙で選ぶという位置づけの方がより妥当にすら見えてしまうのです。選挙の時に候補者の公約なんて聞いてもしょうがないという気にすらなるのです。

もちろん、カナダにしろアメリカにしろ政党の枠組みはしっかりしていますが、アメリカなどは必ずしも政党の枠で縛り切れないケースもあるわけでそこは有権者の意思をしっかり行動で示しているとも言えます。

もう一つ、当地は市町村レベルでは政党で押し込まず、市議がそれぞれの議案についてそれぞれの意見を出す仕組みです。それはより地元に寄り添った政治をしているともいえるのでしょう。当地の政治を見ていると有権者と議員の距離はとても近いと思います。それ故に有権者が政治により真剣になり、参加型になるとも言えるのではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年1月26日の記事より転載させていただきました。