しかし、この点についての代表訴訟判決の判断は、複数の「運転停止以外の事故回避阻止」について、詳細な検討を行った上、水密化によって事故が回避できた「可能性」を否定しているものであり、刑事控訴審判決の「傍論」は、その「可能性」の判断を否定しているものではない。
この点は、両判決の判断が異なっている点であることは確かだが、刑事控訴審判決によって代表訴訟判決の判断が否定されたと見るべきとは言えない。
両判決の関係についてどう考えるべきか以上のとおり、原発事故についての東電旧経営陣の「責任」について、代表訴訟判決が肯定し、刑事控訴審判決が否定したとするマスコミの論調は、的確なものとは言い難い。
では、この判断の違いをどうとらえるべきであろうか。
本件では、10mの高さの敷地を超える津波が襲来し、その津波が同発電所の非常用電源設備等があるタービン建屋等へ浸入することなどによって発電所の電源が失われ、非常用電源設備や冷却設備等の機能が喪失し、原子炉の炉心に損傷を与え水素爆発が発生したことによって、原子力事業者の東京電力に膨大な損害が発生し、他方で、寝たきり老人が避難の途中で亡くなるなどした「人の死傷」の結果が生じたというものだ。
そのような結果を招いた原発事故の発生が予見可能であったのか、という点が問題になることは、業務上過失致死傷罪でも、取締役の善管注意義務の任務懈怠についても同様である。
問題は、その「予見」のレベルだ。
刑事控訴審判決は、津波が襲来し電源喪失の事態に至ることについて、「現実的な可能性があったことを具体的に認識できていたこと」が業務上過失致死傷罪の「予見可能性」の要件になるとした上、「長期評価」は、そのような10メートル盤を超える津波が襲来するという現実的な可能性を認識させるような性質を備えた情報であったとは認められないとして、予見可能性を否定した。
一方、代表訴訟判決で問われた任務懈怠は、東京電力という株式会社の取締役として、会社から経営を委任される立場として、実質的所有者である株主の利益を追求するため、必要な注意をもって委任事務を処理する義務、つまり会社に損害を与えることを防止するための取締役としての義務に違反したことだ。
過酷事故が起きれば、原賠法等によって、無過失・無限責任を負う原子力事業者には膨大な損失が生じることになる。そのような原発事故による会社の損害の発生を防止する取締役としての義務については、一般的に言えば、予見される事象によって会社に生じる損害が大きければ大きいほど、は高度のものになる。
その可能性が低いと思えても、また、可能性の認識に具体性が乏しく、「危惧感」を覚える程度でも、その発生に備えて対策を講じることが取締役としての義務ということになる。
原発事故に関しては、原発事業者である東京電力は、原賠法で無過失・無限責任を負担しており、放射能漏れ事故が発生した場合に膨大な損害を負担することになるのであるから、万が一にも事故が発生しないよう、事故の可能性についての認識のレベルは低いものであっても、対策を講じるべき義務があるということになる。
そこで、代表訴訟判決は、東京電力にとっては、一定のオーソライズがされた、相応の科学的信頼性を有する「長期評価」は、無視することができない存在であり、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において、「長期評価の知見に基づく津波対策」を講じる義務があった、として、何らの津波対策に着手することなく放置する本件不作為の判断は著しく不合理だとして、東電旧経営陣の任務懈怠を認めたのである。
刑事控訴審判決を踏まえ、代表訴訟判決の意義を再認識すべき同じ大津波による原発事故についての予見可能性についての判断が、刑事控訴審判決と代表訴訟判決で異なるものとなったのは、原発事業者に対しては原賠法により無過失・無限責任を負わされ、原発事故が発生した場合に膨大な損害を負担することになっていることに最大の原因があるのであり、代表訴訟判決が「責任」を認めたのは当然の判断である。今回の刑事控訴審判決によって、何ら影響を受けるものではない。
今回の刑事控訴審判決に対して、指定弁護士は上告する可能性が高いと見られるが、従来からの業務上過失致死傷罪についての判例の見解に沿った同判決の判例違反の上告理由は考えにくく、上告審で覆る可能性は低い。比較的早期に上告棄却決定が出る可能性もあるだろう。
代表訴訟判決の認定・判断が今回の刑事控訴審判決によって否定されたかのように受け止めると、刑事の無罪判決が上告棄却で確定した場合に、代表訴訟判決の判断が最高裁で否定されたかのような誤解につながり、それが、代表訴訟の控訴審の展開に影響することになりかねない。
刑事控訴審判決で代表訴訟判決が否定されたかのように捉えることで、代表訴訟判決という、原発事故被害者が、敢えて「東電株主」となって勝ち取った「東電旧経営陣の責任追及の成果」が損なわれることにならないようにすることも重要であろう。
刑事控訴審判決は、従来の日本の刑事の実務、判例から言えば想定通りであり、一方、代表訴訟判決の判断も、前記のとおり、原賠法で無過失・無限責任を負う原子力事業者が、原発事故によって会社に生じる膨大な損失を防止する立場にある取締役の任務懈怠についての当然の判断である。
むしろ、東電旧経営陣の「責任」の有無について判断が分かれたことで、個人に対して異常とも思える金額の賠償を命じた代表訴訟判決が、日本の原子力損害をめぐる法的枠組みの異常さを示すものであること(【「13兆円賠償命令」判決が示す“電力会社ガバナンス不在”を放置したままの「原発政策変更」は許されない】)が、改めて明確になったと捉えるべきなのである。