福島第一原発事故をめぐり、東京電力の会長だった勝俣恒久氏と副社長だった武黒一郎氏、武藤栄氏の旧経営陣3人が、原発の敷地の高さ(海抜10メートル)を上回る津波を予測できたのに対策を怠り、原発からの放射能漏れ事故の発生で避難を余儀なくされた福島県大熊町双葉病院の入院患者ら44人を死亡、13人を負傷させたとして、業務上過失致死傷の罪で検察審査会の議決により起訴された裁判の控訴審で、東京高等裁判所は、1審に続いて3人全員に無罪を言い渡した(以下、「刑事控訴審判決」)。
「被告人らに、本件発電所を停止すべき義務に応じる予見可能性を負わせることのできる事情が存在したという証明は不十分」
と判示して、業務上過失致死傷罪の成立を否定したものだった。

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問題は、2022年7月13日、原発事故被害者の東電の株主が、旧経営陣5人に対して提起した「株主代表訴訟」で言い渡された1審判決(以下、「代表訴訟判決」)との関係をどう見るかである。
代表訴訟判決では、取締役としての注意義務を怠り、津波対策を先送りして、原発事故が発生したために廃炉作業や避難者への賠償などで会社が多額の損害を被ったとしてとし、勝俣氏と清水元社長、武黒氏、武藤氏の4人に対し、連帯して13兆3210億円を支払うよう命じた。
旧経営陣の任務懈怠を認めた代表訴訟判決を評価する原発事故の被害者や一部のマスコミからは、事故の予見可能性を否定した刑事の1審判決の判断が代表訴訟判決で覆されたかのように受け止め、刑事事件の控訴審が1審とは異なる判断を行うことを期待する声もあった。
そのような代表訴訟判決を評価していた側も、代表訴訟判決を批判していた側も、今回の刑事控訴審判決が、代表訴訟判決とは異なった判断、相反する判断をしたように論じている。
産経新聞は、【長期評価の信頼性認めず 東電強制起訴 民事とは逆の結論】と題する記事で、
旧経営陣に13兆円余りの損害賠償を命じた民事訴訟の判決とは対照的な結果。個人の刑事責任を追及する難しさが、改めて浮き彫りになった。
とした上、
株主代表訴訟の判決は「検討を依頼後、なんら津波対策をとらなかったことは不合理で許されない」と指弾。一方、今回の控訴審判決は「武藤元副社長の指示は不合理とはいえず、その後に巨大津波が襲来する現実的な可能性を認識する契機が(旧経営陣に)あったとは認められない」とした。
などと両判決の判断の違いを強調した。
代表訴訟判決を評価していた東京新聞も、【ほぼ同じ証拠と争点なのに…旧東電経営陣の責任を問う訴訟の判決が民事と刑事で正反対になった背景】と題する記事で、
株主代表訴訟東京地裁判決は「適切な議論を経て一定の理学的根拠を示しており、相応の科学的信頼性があった」と認め、対策を先送りした旧経営陣の過失を認めた。
これに対し、今回の判決は、長期評価の信頼性を否定。「敷地の高さを超える津波が襲来する現実的な可能性を認識させるような情報だったとは認められない」と判断した。
などと、予見可能性についての判断の違いを強調し、その原因として
個人に刑事罰を科す刑事裁判では、合理的な疑いを挟む余地がない程度の立証が必要となり、証拠や主張のどちらに真実性があるかを判断する民事訴訟より、ハードルが高い。
などとして刑事と民事の違いを指摘している。
しかし、このよう見方は、同じ原発事故についての東電旧経営陣の「責任」について、代表訴訟判決が肯定し、刑事控訴審判決は否定したことの理由の重要な点を見過ごしており、その違いを的確にとらえたものとは言い難い。
「責任」について判断が分かれたことについて、マスコミは概ね以下のようにとらえている。
(1)「刑事」と「民事」の一般的な相違によるもの、刑事は、国家の刑罰権の発動なので、厳格な立証が必要とされるが、民事は、どちらの主張・立証が相対的に正しいかという「主張・証拠の優越」で判断される。
(2)2002年に国が公表した地震予測の「長期評価」による津波予測の信頼性について、代表訴訟判決は肯定、刑事控訴審判決は否定と、判断が分かれた。
(3)運転停止以外に事故を回避する措置があったかについて、代表訴訟判決は、原発建屋などの浸水防止策によって電源設備の浸水を防いだり、重大事態に至ることを避けられた可能性も十分にあったとしたが、刑事控訴審判決は、この点を否定した。