もう一つは定価販売にすると商品の価値を売り手が一方的に決定し、消費者にその選択権がないのです。つまり非常に良い製品が出れば「パナはいいよね」になりますが、他社と変わらないなら「値引きがある〇〇社の商品を買う」という消費行動になるのです。あるいは賞味期限を過ぎた製品の価値の減価はどう対応するのでしょうか?

この方式はパナはずっと消費者の期待値より高いものを売り続けなくてはいけないのです。新製品のヒットが6-7割の打者にならねばならないのです。今時、ヒットする新製品など千三つとまでは言わないまでも100出して数品目程度です。これではワークしない、これが私の直観です。

ではパナは再生の道がないのでしょうか?私はパナの家電部門は売却してよいのではないかと思うのです。確かに同社の5割の売り上げがある同部門を売却するのは驚愕の判断だと思うのですが、パナでないとダメな商品ってない気がするのです。売却が叶わないなら株式の一部を誰かに持ってもらい、違うブラッドを入れた方がよいと思います。つまり、パナソニックの純血主義が面白みに欠けるのではないでしょうか?

私はその売却資金でもって電池なり、ブルーヨンダーを介したBtoBに特化した方がよいと思うのです。私はGE(ジェネラルエレクトリック)の株主なので同社の動きを見ながら世の中のトレンドを探っていますが、コンスーマープロダクツは正直、競争が激しすぎ、中国のように巨大な消費者層をバックに抱える市場がないと厳しいのです。なぜなら数を出してなんぼ、だからです。

東芝は会社分割が否定されました。GEは今のところ成功しています。先日、GEの分割プランで第一弾のGEヘルスケアが上場、私にも一定株数の配分がありましたが、同社の株価は新値更新を続けています。来年早々にはエネルギー部門の分割もあり、その際もまた株式分配があります。そしてGE本体の株価も着実に上がっており、企業価値は改善の方向にあります。

パナソニックの弱点はコアビジネスがない、それゆえに何の会社だかわからない、これが私の答えです。その思想の背景は関西人独特の「掴んだら放さないがめつさ」を見たのかもしれません。もう少し言葉を選べば「ウェットすぎる」と言ったらよいでしょうか?

ただ、表題にある通り、パナソニックの失われた30年は日本の失われた30年の代表的事例であり、このようなビジネスをしているところは未だに無数、存在します。「先祖代々の…」「創業者の…」「今は苦しいけれどそのうちに…」という発想です。

先述のGEは創業者のトーマス エジソンの白熱電球を祖とする電気製品の事業すら売却しました。日本はそれを一斉に「GE帝国の崩壊」と報じたのですが、私は「Reborn(生まれ変わり)」だろうと思っているのです。日本はなんでも否定的に捉える一方、北米はポジティブに捉えるのです。この辺りの発想の違いもまたパナソニックが迷える子羊である理由かもしれません。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年1月24日の記事より転載させていただきました。