「総括」するなら、得られたものと失ったものの両方に目を配らなければならない。にもかかわらず官公庁でよくあるのは、催事を開催して市民1000人が訪れた。報告書には「1000人もの市民が来訪し、アンケートの結果は概ね好評であった。よい催事であった」などと記す。しかし、そのために5000万円の費用と職員200人日の工数が掛かったとしても、これは記載しない。当然、その事業全体としてのフラットな評価も行われない。これは「総括」ではない。
他に「総括」するべき主体としては、政治家やマスメディアが考えられる。しかし、彼らには「総括」の営みなど全く期待できないことについて、説明は不要だろう。
それに、社会全体で「総括」が万一なされたとしても、新型コロナウイルス騒動によって貴兄が被った損害が補填されるわけではないし、社会として学習するか(同じ愚行を繰り返さなくなるか)も疑問である。そのような確率も実益も小さい事象に期待するよりは、個人でさっさと「総括」するのが現実的だし、次に繋がる建設的な成果に結び付くのではないだろうか。
誰かに何かを期待して待つより、自分から動いた方が、大抵の場合早くて簡単である。
なお筆者は、新型コロナウイルス対策では国や地方公共団体は愚行を重ね、飲食業・観光業と若者~将来世代に回復困難な損害と失望を与えたと認識している。現業の方は「総括」に向けて動くべきだと思うが、若者~将来世代は別な形で対応しても良いだろう。詳述はしないが、端的に言えば「自由」に考えるのが大事だと思う。
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高梨 雄介 上智大学法学部卒業後、市役所入庁。法務関係部門を歴任して数々の例規の起草、審査、紛争解決等に携わる。現在は公共団体職員として勤務の傍ら、放送大学で心理学を専攻中。