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会長・政治評論家 屋山 太郎
「憲法改正」が岸田内閣最大の懸案となった。憲法改正を機に、官僚的発想のみでまとめてきた法体系を常識の線に引き戻すべきだ。
日本社会が官僚政治そのものだと痛感したのは、安倍首相が「新安保法制」の成立に取り掛かった時のことだ。安倍氏が問題にしたのは法制局の法解釈であった。
それまでの政府の法解釈は「日本は集団的自衛権を国際法上保有しているが、憲法が許す自衛権の範囲を越えるから行使できない」というものであった。だが、これでは現実には日本は守れない。米国から見ても、日本が実質的に日米安保条約を履行できないというのでは、防衛条約の意味をなさない。
こういう野放図な解釈を貫いてきたのは「内閣法制局」という法解釈の最高機関である。当初、安倍氏は新しい法制局長官を任命して法解釈を「訂正」させようと考えた。ところが法制局の配下の者に相談すると「できません」の一点張りだ。法制局長官のOBにまで打診したが全員が反対だと言う。常識から考えても権利があるのに「行使できない」というのは筋が通らない。なぜそんなことになったのか。
日米安保条約は日米国交回復とともに日本に押し付けられたもので、当時の国会では社会党と共産党が大反対だった。そこで与野党間の取引が行われた。野党は条約を結ぶこと自体は認める一方、自民党は集団的自衛権の行使を認めないことで全政党が丸く収まったということなのだ。法制局が「集団的自衛権の行使も認める」と言えば天下の常識に戻るのだが、これでは法制局のメンツが立たないということだろう。
国会は以上のような奇妙な常識で成り立ってきたが、安倍氏はこのような“常識”を否定する官僚を探し回った。見つけ出したのは前国際法局長、駐仏大使をしていた小松一郎氏だった。小松氏は2013年に法制局長官に任命され、条文解釈の変更を実現した。