しかしウクライナの場合、家族が本国に帰るのか、これがわからないのです。仮に一時的に戻ったとしても長期的には私は定着しないと考えています。理由は彼らには土着文化はなく、遊牧性があるため、生きる術を見つけるには他の地で逞しく生きるという選択肢に何の躊躇もないからです。ここは日本人のメンタリティと違います。故に戦争前の30年足らずで人口が15%も減っているのです。
これが私の見るウクライナ経済の悲観論です。
戦争の責任はロシアにあり、その復興費はロシアが出せ、というのは交渉上の話です。仮にどんな約束が締結され、ロシアが何らかの責任を持つことになったとしてもそれが国家を復興させることとはリンクしません。むしろ、復興をロシア人が代行せざるを得なくなり、実質的にウクライナにおけるロシア人の人口増を引き起こす可能性すらあると思っています。
祖国防衛とは何でしょうか?ユーラシア大陸の歴史は散々でした。特にチンギスハンの時代のモンゴル帝国の勃興と初期ロシアの関係をみると国家とはこれほど不確定不確実なものなのか、と驚くばかりです。彼らはその血を継いでいます。そして混血化が進み、結局祖先は誰だかさっぱりわからないけれど思想や支配という考え方の根本は数百年前と何ら変わっていないのです。
それを近代の思想で解決しようとするから非常にわかりにくくなる、これが私が傍で見た歴史観です。岸田首相がゼレンスキー氏からウクライナ招聘を受けたとのことですが、日本的発想を持つ岸田首相がゼレンスキー氏の意図することが理解できるとすれば岸田氏は博士並みの理解力を持つということです。それぐらい我々には不可解な世界なのです。
戦前、平沼騏一郎という首相がいました。政府は日独伊三国同盟の強化を目指す中、ノモンハンで日本はソ連に敗れるという状況でした。そんな中、1939年に独ソ不可侵条約が締結されます。日本の味方のドイツと敵のソ連が不可侵条約です。「欧州情勢は複雑怪奇」という名言(いや迷言)を残して総理を辞任するという事件がありました。この複雑怪奇という意味こそ、いまのウクライナにぴったり当てはまる事象なのです。
そんな観点故に私はずっとウクライナを憂いているのです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年1月16日の記事より転載させていただきました。