重要な問題は、ゲンスヴァイン大司教の「2012年9月末」説が事実とすれば、ドイツ出身のベネディクト16世に当時、何があったのかだ。2006年からベネディクト16世の個人執事だったガブリエレ氏が同16世の執務室や法王の私設秘書、ゲオルグ・ゲンスヴァイン氏の部屋から教皇宛の個人書簡やバチカン文書などを盗み出し、その一部を暴露ジャーナリストに手渡すという不祥事を起こしている(通称バチリークス)。バチカンは当時、その対応に大慌てとなった。同事件はベネディクト16世にとってもショックだったことは間違いないが、同16世の健康と気力を失わせ、生前退位の決意を固めさせたとはどうしても思えない。ちなみに、「ベネディクト16世が12カ月以内(2012年11月まで)に殺される」というバチカンの機密書簡内容がイタリアの一部メディアで当時、報じられた(「枢機卿の『法王殺人の陰謀説』」2012年2月13日参考)。
独週刊誌シュピーゲルは2012年6月、「疲れ切った人」という見出しでベネディクト16世のプロフィールを報じた。姉は修道女になり、兄は教会の少年合唱隊のリーダーになるなど、ベネディクト家の3人は皆、教会に献身した。いずれも生涯独身だった。
ベネディクト16世は神学教授などを経て、バチカン教理省長官になり、ヨハネ・パウロ2世の死後、その後継者に選出された。ゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー元教理省長官が証言しているように、ベネディクト16世は教皇というより学者だった。ベネディクト16世は教会指導者として13億人の信者たちを導く牧会者ではなかった、という点ではバチカン専門家の評価はほぼ一致している。
2012年8月、ベネディクト16世が教理省長官時代から書き続けてきた「ナザレのイエス」3部作の最後の第3部「幼少時代のイエス」が完結している。同16世が「死ぬ前までに書き上げたい」と全力で取り組んできた代表作だ。聖職者の未成年者への性的虐待事件、バチカン銀行の不正発覚、そしてバチリークスと不祥事が続く中、「ナザレのイエス」3部作の完成はベネディクト16世にとって大きな喜びだったはずだ。同16世の生前退位決意と「ナザレのイエス」の3部作完成が関係があるかは分からないが、なんらかの影響を与えたことは排除できない(「法王の『イエス伝』3部作,完結」2012年8月5日参考)。
2012年9月3日、世界基督教統一神霊協会(当時、通称統一教会と呼ばれた)の創設者文鮮明師が死去している。バチカン・メディアは一斉に「文鮮明師死去」と大きく報じた。同師は1992年8月、国際会議に参加した学者や文化人を前に「メシヤ宣布」を行い、自らを「再臨主」と公に宣言。そのため、既成のキリスト教会からは異端者と批判されてきた宗教指導者だ。
ところで、ベネディクト16世が2013年2月11日、生前退位を表明した直後、バチカンのサンピエトロ大聖堂に雷が落ちた。イタリア通信ANSAの写真記者がその瞬間を撮影することに成功している。「神からの徴(しるし)」と受け取る信者たちが出てきたほどだ(「法王退位表明後の神の『徴』」2013年2月14日参考)。
ベネディクト16世の生前退位決意が「2012年9月末」に下されたといゲンスヴァイン大司教の発言は、預言者聖マラキが「ベネディクト16世を最後のローマ教皇と見なしていた」ことも含め、同16世の生前退位の背景について、再度慎重に検証する必要があるだろう。

前教皇 ベネディクト16世(ウィキぺディアから)
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年1月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。