英検やGTECなどは資格試験であり、何度でも受けることができます。大学に提供されるのは高3で受けた2回ないし1回の試験の成績ですが、金持ちや都会の高校生のほうが練習で多くチャレンジできるという理由で、反対派は不公平だと声を上げたわけです。

それに対して、萩生田氏は「『あいつ予備校に通っていてずるい』というのと同じ」と反論したが、高校生の境遇によって受験回数に差が出ることについては否定しなかった。しかも、なぜか「身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と、いかにも経済的、地理的な格差を容認する印象を与える言葉遣いをうっかりしたばっかりに、揚げ足を取られて袋だたきにあったのです。萩生田さんは政治的影響を恐れて逃げ出した形となり、日本の英語教育を変えるチャンスを逸することになりました(萩生田大臣もベストを尽くされたとは思います)。

これまでの英語教育は、正しい文法や発音の習得など言語学的学習に重視され、〝生きた英語〟の習得は軽視されてきました。大学の先生にとっても自分の専門の英文学の講義をしているほうが楽です。さらに、学習塾や参考書業界も入試改革に反対しました。結局のところ、学会・教育界、業界の秩序が乱れるのが嫌だったのです。

また、受験生にとって不公平であるという批判がされましたが、現在よりも不公平であるという理由もないし、英会話の重視は確実に子どもたちの未来にとってメリットが大きいのです。しかし、制度変更は受験生を不安にさせるので、悪い大人たちは受験生たちの心理を弄んだのです。

なかには、会話などできなくても、文法がしっかりした言葉を話す方が尊敬されるから問題ないという人もいます。

しかし、それがナンセンスだと分かるのは、第二外国語のほうが上手にしゃべれるという人が多いことです。

私は第二外国語がフランス語ですが、最初から東京大学の教養課程でフランス留学した先生方に学び、フランスの生活の話を聞き、まさに読む・聞く・話す・書くの四技能をそれなりに学んだのでそこそこ話せました。

さらに、通商産業省に入って留学生試験を何か受けろと指示されて、フランス語を勉強することにしました。日仏学院に通ったり家庭教師を雇いましたが、みんなフランス人ですから英語より上手に話せるようになるのに時間はかかりませんでした。

同様のことは、渡部昇一先生もいってました。英文学者なのにドイツ語の方が会話能力は上だと苦々しく仰っていました。

この動画でも、深田さんも自分の体験から、中国語の方が話しやすいといったことを体験談として仰っています。