頭がペコペコと上下に動く姿が愛くるしい赤べこ。
この赤べこは、会津地方をはじめとした福島県に伝わる縁起物で、古くから様々な伝説が語り継がれています。
東北地方は他にも郷土玩具が複数存在しており、無病息災や五穀豊穣などを祈るのに使われていたとされています。
そこで、ここではそんな赤べこをはじめとする郷土玩具について、どんな効果があるのかを中心に見ていきましょう。
「赤べこ」とは

赤べこは福島県会津地方に伝わる張子玩具の1つで、東北地方に伝わる郷土玩具の中でも古い歴史を持っているものです。
まずここではそんな赤べこの名前の由来や縁起物としての扱いについて見ていきましょう。
名前の由来
赤べこは赤と黒で彩られた張子で、牛の形をしたものを指します。
赤べこの「赤」とは赤塗りのことで、「べこ」とは牛のことを意味します。
その姿かたちから、赤べこと呼ばれるようになったと考えられています。
この姿の由来は諸説あるのですが、古くから東北地方で言い伝えられている赤い牛伝説などが関係しています。
ちなみに、赤べこは赤い牛を意味するものなのですが、赤以外にも黄色いものや白いものがあったり、牛以外にも犬など他の動物をモチーフにしたものもあります!
縁起物の赤べこ
赤べこは魔除け、特に疱瘡(ほうそう)除けの郷土玩具だったとされています。
種痘が発見されるまで、疱瘡(天然痘)は死に至る危険な病気で、特に幼い子供がかかってしまうと命を落とす危険性も高かった病気です。
疱瘡にかかると全身に赤い発疹が出ることから、人々は全身真っ赤の疱瘡神が憑りつくことで発病すると考えていたそうです。
赤は魔除けの色とされる他、疱瘡除けの色と古来信じられていました。
そこで、赤塗りの玩具を子供たちのそばに置いて、子供に憑りつかないように願ったと考えられています。
赤べこの多くには体に大きな斑点があるのですが、一説にはこの斑点は疱瘡の痕をあらわしている、ともいわれています。
子供を病魔から守るお守りとされた赤べこが、転じて無病息災や家内安全などの縁起物として信じられるようになったとされています。
赤べこの起源
赤べこの起源については諸説あるのですが、戦国武将の蒲生氏郷が会津に移封された際、京から職人を招待して、張子の技法を下級武士に習得させたことが始まりだと言われています。

人々に無病息災や家内安全をもたらしてくれるとされる赤べこは、数多くの伝説が残っています。
お寺の復興を手伝ったとされる赤い牛
赤べこに関する伝説のひとつが現在も会津地方の福島県河沼郡柳津町、只野川沿いにある圓蔵寺にまつわる話として残っています。
かつて徳一大師という僧侶が圓蔵寺の虚空蔵堂を建立・再建する際、只野川の上流の村から大量の材木を寄進されたそうです。
材木が届いたのはいいですが、圓蔵寺は川沿いの絶壁の上にあります。
そのため人間の力だけでは到底できない仕事です。
そんな中、人々が材木を運ぶのに難儀しているとどこからともなく赤い体をした牛が現れ、材木の運搬を手伝ってくれたそうです。
あきらかに過酷な仕事でしたが、最後まで一生懸命働いてくれたとされています。
赤べこは、この働き者の赤い牛にあやかっているともされています。
平安時代にあらわれた赤べこ
詳細は伝わっていませんが、平安時代に疫病が蔓延した際に、赤い牛が現れ、その疫病を払ったという伝説も残っています。
赤べこは古くから病気から人々を守ってくれる存在、東北地方の守り神だったのかもしれません。