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全国の『七福神めぐりの発祥』とされる『都七福神』のひとつ、福禄寿の寺
『五十(ごと)払い』『ごとび』風習の発祥で商売繁盛の寺、福みくじ
全国の『七福神めぐりの発祥』とされる『都七福神』のひとつ、福禄寿の寺

(画像=『たびこふれ』より引用)
七福神信仰は、室町時代に京都から次第に各地へ拡がっていったと言われています。日本最古の『都七福神』は、ゑびす神―ゑびす神社、大黒天―松ヶ崎大黒天、毘沙門天―東寺、弁財天―六波羅蜜寺、福禄寿神―赤山禅院、寿老神―革堂、布袋尊―萬福寺。御朱印を戴いた時に聞いた話によると、ゑびす神社以外は全て神仏習合だということです。
その中でも福禄寿の寺である『赤山禅院』は万物の命運を司ると言われており幸福・高禄・長寿の三徳を願えるそうです。
『五十(ごと)払い』『ごとび』風習の発祥で商売繁盛の寺、福みくじ

(画像=『たびこふれ』より引用)
『五十(ごと)払い』の風習の始まりとなった寺で商売繁盛の御利益があると言われてます。
「申の日」の5日に赤山禅院を参拝すると吉運に恵まれ商売繁盛になると評判になり江戸時代には「赤山さんは掛け寄せ(集金)の神さんやなぁ」と言われるようになったらしいです。
そういや、幼い頃から「五十日」は関西では「ごとび」と呼ばれ、一般に毎月5日、10日のことをこう呼んでました。昔から商売ではこれらの日に決済を行うことが多く「五十払い(ごとばらい)」といわれる商習慣となり、現在の「五十日」につながっています。一般車両が混んでいる時によく「今日は『ごとび』やったかいなぁ」と集金に忙しい人達の車の渋滞を見て言ったもんです。
ここのおみくじは一つ、一つ手書きの顔をされた福禄寿の形をしたもので35年程前に先代のご住職が考案し、長野県松本市のこけし職人さんが手がけているとのこと。これ!と思った顔をお持ちの方をお選びくださいとのことでした。