ドイツのバイエルン生まれのベネディクト16世は2005年、27年間と長期在位してきたヨハネ・パウロ2世の死を受けて開かれたコンクラーベ(教皇選出会)で第265代教皇に選出された。約500年ぶりにドイツ人教皇の誕生ということでドイツでは大歓迎されてきたが、2013年2月、「教皇職を務めるだけの体力がなくなった」として生前退位を発表し、世界を驚かせた。
教皇職は終身制だが、1294年、ケレンティヌス5世以来719年ぶり、2人目の生前退位した教皇となった。退位後は、バチカン内のマーテル・エグレジェ修道院で生活してきた。ベネディクト16世の私設秘書を務めてきたゲオルク・ゲンスヴァイン大司教からの情報によると、「同16世はここ数年肉体的にはかなり弱まっていたが、その知性は最後までシャープだった」という。
同16世は近代の教皇の中でも最高峰の神学者と呼ばれ、学者教皇と呼ばれてきた。ベネディクト16世は教皇に選出前(ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿と呼ばれた)、バチカンでは“教義の番人”といわれた教理省(前身・異端裁判所)長官を務め、新ミレニアムの西暦2000年の記者会見では教会の過去の不祥事をヨハネ・パウロ2世に代わり正式に謝罪するなど、世界のローマ・カトリック教会の中心的人物として活躍してきた。
ただ、今年1月20日、ベネディクト16世はミュンヘン・フライジンク大司教区の大司教時代(1977年~82年)、聖職者の未成年者への性的虐待問題に関連し、「少なくとも4件、聖職者の性犯罪を知りながら適切に指導しなかった」という内容の報告書が公表され、犠牲者から訴えられた。
ベネディクト16世の在位後半は聖職者の未成年者への性的虐待問題で教会はその対応で大わらわとなった。教会への信頼は地に落ち、多くの信者は教会から去った。イエズス会のアンスガー・ヴィーデンハウス氏はドイツ・メディアとのインタビューで、「私たちの教会には何かが壊れている」と答えたが、学者教皇ベネディクト16世は教会刷新の道を提示できず、「壊れた教会」を残して亡くなった。
なお、私設秘書ゲンスヴァイン大司教によると、ベネディクト16世の最後の言葉は「主よ、私はあなたを愛しています」だったという。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年1月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。