ここには戦時国債の大量発行を許して戦争への道を開いた大蔵省の反省があり、戦後の知識人の悔恨共同体に対する「不戦の誓い」ともいうべきものだった。見方を変えると、GHQが再軍備を阻止するためにつくった規定ともいえる。
しかし今では、この制約は意味がない。建設国債も赤字国債(特例公債)も、国会で議決すれば出せるので、自民党が圧倒的多数を占める国会では、財政赤字の歯止めにはならない。財政法4条は、国債発行のハードルを上げて税金の浪費を防ぐ制度だったが、憲法9条と同じく、もはや機能していないのだ。
統合政府の債務管理が必要だしたがってGHQのつくった「戦後レジーム」を清算しようとした安倍氏が、国債発行に積極的だったことは不思議ではないが、彼はなぜ財政法4条を改正しなかったのだろうか。
安倍氏の「日銀は政府の子会社」という発言が物議をかもしたが、国債は統合政府でみると日銀の資産なので、その残高は相殺でき、日銀が会計上で債務超過になっても問題はない。それより統合政府の債務管理によって物価と金利をコントロールする制度が必要である。
債務管理として日銀引き受けを禁じる財政法5条も、空文化している。国債の借り換えはほとんど日銀引き受けなので、60年償還ルールは実行されていない。財務省はプライマリーバランスの黒字化を目標としているが、これは日銀のインフレ目標と同じく、形骸化している。
安倍氏の提唱した防衛国債は、建設国債の壁を破る試みだったが、来年度予算では護衛艦など一部の予算が建設国債に入っただけだ。安倍氏の真意は、今となっては知るよしもないが、憲法改正が実現するとき財政法も改正するつもりだったのかもしれない。
「財政の戦後レジーム」の清算財政規律は重要だが、それは国債を禁止する時代錯誤の法律ではなく、実質的な経済安定化を基準とすべきだ。MMTの元祖ラーナーが言ったように、経済政策の目的は財政の安定ではなく経済の安定なので、過剰債務が金融危機などのショックをもたらすリスクが問題である。
「未来の世代への責任」をどうするかという神学論争ではなく、具体的に何%の金利上昇で金融危機が起こるのか、そして政府債務がGDPの何%になったら、将来世代に何%の純負担が発生するのか、数値シミュレーションで考える必要がある。
今はそれを財務省の主計局が判断しているが、先進国ではイギリスの予算責任局のような独立機関でチェックするのが普通である。ゼロ金利状況では金融政策には効果がなく、財政政策のコントロールのほうがはるかに重要である。
本質的な問題はPBのような単年度の財政収支ではなく、時間を通じた国民負担(社会保険料を含む)をどうするのかという政府の予算制約を設定することだ。それを無視して国営ネズミ講を続けると、国債の負担が社会保険料に上乗せされて現役世代が貧困化する。
財政法4条を改正し、国債を「特例公債」として毎年議決するルールを廃止するとともに、5条を改正して日銀引き受けを認め、そのコントロールを日銀政策委員会がやってはどうだろうか。もちろん財務省は強く反対するだろうが、それが「財政の戦後レジーム」を清算しようとした安倍氏の遺志に添うのではないか。