政治家としての一番大事な勇気は国民に苦いことを言えること
政治家としての本当に大事な勇気は、国民に対しても、外国に対しても、さらには皇室などに対してもだと思うが、あえて嫌なことを言って、実行に移す勇気だ。
なにしろ、平成日本では何をするにも強制しない。あるいは、何かを推進するためには、ひたすら飴を与えて鞭を振るうことばかりだ。マイナンバーカードの取得でもワクチンの接種でも、それを強制しさえすれば、余計なコストもかからずに済むのに、飴だけでは、コストもかかるし、時間がかかる。
さらに、兵役の義務が潜在的にすらなく(徴兵制を現在とっていない国でも潜在的には義務はあるというのが当たり前だ)、警察の犯人逮捕、消防、自衛隊の災害救助に市民は協力しようとしないし、コロナ禍のような非常時でも医療従事者を十分に動員できない。
期限内に手続きや支払いをしなくても、公的扶助などの権利を失うことも少ない。一方、福利厚生は、しばしば欧米で考えられないほど高水準だ。
そのうえ、虫のいい経済理論が流行って、財政規律にも無頓着だ。こういう甘ったれた国民相手に、分配を公正に行うから、成長にベストを尽くさなくとも生活を改善できるという気にさせるのは、かなり危険だ。
日本の政治家は国民を甘やかしすぎだ。国民が知りたくないような真実を取り上げ、国民に自覚を促し、果敢に取り組む首相が今求められているのだと思う。
そもそも、選挙のときに、頭を下げたり、土下座して、「私を当選させてください」と「お願い」するのは、欧米ではあまりない。
「国があなたのために何をしてくれるのかを聞くより、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うてほしい」というのは、ケネディ大統領の就任演説の有名な一節だが、そのくらいのことを言える勇気ある指導者こそが求められているのだと思う。
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