突然の人事には明確な思惑や狙いがあるものだ。ロシア軍のウクライナ侵攻以来、戦争を主導するプーチン大統領を一貫として支持してきたロシア正教会最高指導者、モスクワ総主教キリル1世(75)に対しては世界の正教会から批判の声が高まってきていることはこのコラム欄でも報告してきた。

モスクワ総主教府で実質的ナンバー2の異動

ところで、そのモスクワ総主教府で実質的ナンバー2の立場にあった対外教会関係局長(渉外局長)のボロコラムスクのイラリオン府主教(55)が7日、渉外局長の地位を解任され、ハンガリーのブタペスト府主教に異動になったことが明らかになった。イラリオン府主教の後任にはコルスンのアンソニー府主教(37)が選ばれた。

ロシア正教会内の「人事」を読む:ウクライナ戦争を100%支持するキリル1世
(画像=フランシスコ教皇とオンライン会合するキリル1世とイラリオン府主教(ビデオの画面で左側)バチカンニュースから、2022年3月16日、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

イラリオン府主教は、キリル1世とローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇とのオンライン会談(3月16日)でもキリル1世の傍に立ち会って聖職者だ。キリル1世はこれまでロシア正教会を世界に紹介するPR的な役割を担うイラリオン府主教を信頼してきた。

キリル1世へのモスクワ正教会内の批判が高まってきたという観測

それだけに、今回の突然の人事はモスクワ総主教府内で外からは分からないキリル1世とイラリオン府主教との間で葛藤があったのではないか、といった憶測を生み出している。ずばり、プーチン大統領が主導するウクライナ戦争を100%支持するキリル1世に対して、モスクワ正教会内でも批判の声が高まってきたことと関連する、という読みだ。

イラリオン府主教は2009年から渉外局長のポストだった。これまでキリル1世の戦争支持に対して表立って批判的な発言をしたというニュースは報じられていない。ただし、正教会系のメディアによると、同府主教は2月24日以降、戦争を擁護するキリル1世に距離を置く発言をしてきたという(キリル1世への「批判発言説」)

ドイツの神学者レギーナ・エルスナー氏は、「イラリオン府主教は表立ってキリル1世を批判していない、キリル1世のように戦争を積極的に擁護する聖職者ではなかった。それがキリル1世の目には府主教の弱さ、忠誠心の欠如と受け取られたのかもしれない」という。

ちなみに、同府主教はオーストリア国営放送とのインタビュー(5月24日放送)の中で、「ウクライナ戦争ではロシアと西側では全く異なった見解、情報が流されている。重要なことは双方が相手の見解を傾聴することだ。さもなければ双方の溝はより深まるだけではなく、戦争はグローバルに拡大していく危険がある」と述べている。その見解はキリル1世のような攻撃的なトーンはなく、極めて冷静だ。

考えられるシナリオとしては、ウクライナのロシア正教会(UOK)がキリル1世を批判し、モスクワ総主教府から離脱を宣言したことへのイラリオン府主教への責任追及だ。ウクライナ正教会は先月27日、ロシア正教会のモスクワ総主教キリル1世の戦争擁護の言動に抗議して、ロシア正教会の傘下からの離脱を決定した。

それに先立ち、イタリアのロシア正教会などが次々とモスクワ総主教府の管轄下から離れていったが、ウクライナのモスクワ総主教府下のウクライナ正教会(UOK)の離脱宣言はモスクワには大きなダメージを与えた事は間違いない。ゆえに、今回の人事は、対外関係を担当するイラリオン府主教の解任人事というわけだ。イラリオン府主教が主教会議(聖シノド)の常任委員の地位をも失ったというから、「解任説」は当たっているかもしれない(「分裂と離脱が続く『ロシア正教会』」2022年5月29日参考)。