習近平は福建省長だっただけに、台湾には特別の思い入れがあるようだが、これが厄介だ。沖縄についても姉妹提携していたので何度か訪れ、その時の経験から特異な認識があるともいう。
この話を「日本の政治「解体新書」:世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱」(小学館新書)でも触れている。
習近平の若いときの経歴を追っていくと、1979年4月に清華大学化工学部卒業(1975年10月、同学部入学)して、太子党の特権で国務院弁公庁、中央軍事委員会弁公庁秘書、国務院弁公庁、中央軍事委員会弁公庁秘書となり、1982年3月に河北省正定県党委員会副書記、1983年11月に河北省正定県党委員会書記となった。
そして、1985年6月福建省アモイ市党委員会常務委員、副市長となった(余談だが、この時期はちょうど私が沖縄総合事務局の企画調整課長だったころだ)。
1988年5月福建省寧徳地区党委員会書記、1990年4月に福建省福州市党委員会書記、同市人代常務委員会主任、1993年9月福建省党委員会常務委員、福建省福州市党委員会書記、同市人代常務委員会主任、1995年10月に福建省党委員会副書記、福建省福州市党委員会書記、同市人代常務委員会主任、1997年9月に第15期党中央候補委員。
1999年8月に福建省党委員会副書記、副省長、代理省長、2000年1月福建省党委員会副書記、省長(1998年3月~2002年1月、清華大学人文社会学院マルクス主義理論・思想政治教育専攻在職研究生班で学ぶ、博士号取得)であって、2002年10月に浙江省党委員会副書記、副省長、代理省長となるまで福建省に14年間いたのであって、彼の官僚・政治家としての原点は福建省で形成されたといってよい。
その後、2002年11月には、第16期党中央委員、浙江省党委員会書記、代理省長、2003年1月浙江省党委書記、浙江省人代常務委員会主任、2007年3月に上海市党委員会書記だ。
浙江省も台湾と関係の深い土地であるし、世界最大の半導体製造ファウンドリであるTSMC(台湾セミコンダクター・マニュファクチャリング)の創業者であり、元会長兼CEOであるモリス・チャン(Morris Chang)こと張忠謀(1931年7月10日〜)も浙江省寧波の出身だ。
習近平は、この台湾の対岸でありその住民の過半のルールの地である福建省の人といってもいいほどで、それだけに台湾の併合に並々ならぬ意欲があるのである。
また、沖縄県と福建省、福州と那覇は姉妹提携をしており、習近平も沖縄を何度か訪れたようで、稲嶺恵一元知事との友好関係もよく知られている。
そして、この過程で、外交辞令も含めて福建省や中国と沖縄の密接な関係についてやや誇大に認識しているようだ。「沖縄の人で中国語の名刺を持っていて私に誇らしげにくれた」といった話をしたこともあると聞いた。
たしかに、琉球王国に明国は数百家族の福建省人を官吏として使うように送り込んだ歴史があり、それは琉球王国の上流階級で有力勢力だった。先に紹介した稲嶺知事や仲井眞知事もその一人で、沖縄の人口に占める割合は大きくないが社会的にはもう少し力がある。
そうした経験から、習近平は、極端には台湾やさらには沖縄まで含めて、中国が併合したり力を伸ばすと歓迎されると誤解している節がある。だから、習近平が権力にある時期は特殊な事情で危険な時期だ。

seungyeon kim/iStock