黒坂岳央です。
年をとるに連れ、時間の経過の体感速度は加速するという。実際に、「子供時代、夏休みは永遠の長さに感じたが大人になると一年があっという間」とは誰しも感じたことがあるはずだ。
これをジャネーの法則といい、法則に照らして考えるならば0歳から19歳までの体感時間と、20歳から80歳までの体感時間は同じとする意見もある。つまり、20歳を迎えた人は、実質的に人生の半分を過ぎているという考え方もできるだろう。まさしく人生は短く、そして儚い夢のようである。
しかし、個人的に時の流れを遅くできる生き方があると考えている。あくまで「体感時間」であるため、客観的な数値としてお見せすることは出来ないわけだが、できるだけ論理的に話を取り上げたい。

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そもそも、なぜ体感時間が短く感じてしまうのか? まずはこの理由を紐解いて考えることが必要なファーストステップになるだろう。結論、同じ生活の繰り返しが主要因だと考える。理由は以下の通りだ。
人間は意識と無意識で行動していることは、周知の事実である。歯を磨く時、ブラシを先に水で濡らすか?それとも先にペーストをつけるか?どの歯から磨くか?どのくらいの力で磨くか?こんなことをイチイチ考えなくても、歯ブラシを手に取ったら勝手に手が動き、気がつけば終わってしまうものだ。
また、学校や会社へ通勤するルートも慣れれば、歩きスマホをしながらでも正確にたどり着けてしまう人が大半だろう。慣れない内は強い意識下でしかこなせないことも、慣れれば無意識で飛行機のオートパイロットのように勝手に動き、記憶に残らないまま作業をこなせてしまう。その証拠に、昨日の歯磨きや通勤・通学ルートで起きた具体的な細かい内容を覚えている人はほとんどいないのではないだろうか。
代わり映えしない毎日が続き、それに慣れると一日の大半も無意識で処理出来るようになる。つまり大半の作業が無意識下で処理されてしまうために、ほとんど記憶に残らない毎日を送ることになる。
実際、筆者はこれを実感している。会社員でかなり単調なルーチンワークをしていた頃の日々の記憶がほとんどない。仲が良かった同僚との何を会話していたのかや、日々の作業内容もほとんど忘れてしまった。無意識で日々を送っていたために、あたかも初めから存在していなかったようにポッカリとルーチンワーク時期の記憶が空白なのである。こういう人は他にもいるはずだ。