「努力だって才能」は本当か?

こういう話が出る度に現れる反論として「努力するのも才能だから、生まれつき成功・失敗は決まっている」というものだ。科学的見地からそういった証拠が示されることもあるだろう。だが、この手の話はあまり聞く必要はないと個人的に思っている。その根拠をここから述べる。

まず、自分に努力する才能があるかどうか?を知る術はない。自分のDNAをセンサーに当てて「これは努力遺伝子がありますね」みたいなドラえもんの世界にあるような技術が生まれたなら話は別だが、そんなことは今の現代科学では不可能である。さらに「努力できる・できない」という軸で捉えるべきではなく、「努力できる分野、できない分野」に分かれると思うのだ。

筆者は昔からずっと勉強が苦手だった。周囲のクラスメートはゲームで遊んでいても勉強の時間になったらすぐに勉強に戻れるのを見て「すごいな」と尊敬していた。自分はいつまでもゲームで遊び、やがて学校にいかなくなってまでずっとプレーし続けた。雑誌のゲームコンテストの企画がある度に、自分のプレー動画をビデオで録画して送り続けていろんな雑誌で入賞した。一時期は企画の常連になった。自分は勉強という分野には努力が出来なかったが、好きなゲームで努力することは出来た。

今は文章を書いたり、英語を教えたり、フルーツギフトビジネスの仕事をしているが、これらはやっていて苦痛がない。朝5時に起きて仕事をするが、あまりに集中してやってしまうので子供の保育園のお迎えの時間を遅れてしまう事が多かった。今はそれを防ぐために、必ずアラームをかけてリマインドするようにしている。好きな仕事に熱中する努力の才能は自分にはあるようだが、その一方で苦手な分野の仕事もある。会社員時代は歯を食いしばって努力しても大した成果は出せなかったし、努力をするのが苦痛だった。だから努力の適正のある分野を見つけることは必要だ。

結局、才能だの努力だのをイチイチ意識せず、夢中になってやれることを自分自身の人生の中で見つけるしかないと思う。「自分には才能がないから」こればかり言い続けている人は、おそらくその分野に向いていない可能性がある。たとえば漫画を描くのが楽しくて夢中になる人は、自分に漫画の才能や努力の有無なんて考えないだろうから。

 

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