黒坂岳央です。

漫画家のうえはらけいた氏の漫画がバズっている。詳細は実際の漫画を見て頂きたいのだが、端的にいえば「才能は努力をしないための一番の言い訳、つまり敵である」という趣旨の内容が書かれている。自分はこの言葉にハッとさせられた。

才能を努力しない言い訳にしていないか?

英語を教える仕事をしていて、時々相手から言われるのは「自分には才能がないですから」「語学センスさえあれば」という言葉だ。しかし、その都度自分はこう答えている。「あなたが目標にしている英語力にずば抜けた才能はいりません」と。

仮に、各国首脳が集う国際会議で同時通訳者を務める、海外のベストセラー小説を日本語に翻訳するという仕事なら話は別だ。こうした絶対にミスが許されない類の仕事で、他国・自国の歴史や文化まで深く理解し、視聴者の理解を想定して適切なワーディングチョイスが求められ、かつ表現力、正確さ、瞬発さを出すというなら、その成果物のクオリティは努力だけで埋められない差がつくという可能性はある。

だが、自分が教えている英語学習者はそこまでの水準は求めていない。資格試験に合格したいとか、英語を使う企業で働きたいとか、海外で働きたいといった目標が99%である。こうした水準にたどり着くための英語力を得るためには、生まれ持った才能など必要はない。上達の速度に記憶力や理解力の差で違いは出ても、努力を味方にすれば誰でも目指す目標まではたどり着ける。

自分自身、特に語学の才能に抜群に優れているという感覚はないし、自分より英語が上手な人はいくらでもいると思っている。実際、外資系企業で働いている時には自分より純粋な英語力が高い人、センスの光る人はたくさん見てきた。しかし、会社で働くビジネスコミュニケーションや資格試験程度の英語なら、努力の力だけで十分たどり着ける。

思うに、才能やセンスという言葉ばかりに囚われ、自分ができる精一杯の努力から逃げている言い訳にする人は多いと思うのだ。

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才能も磨かなければ光らない

そして世の中で「プロ」「一流」とされている人たちも、すべからく努力をしているという事実がある。資本主義社会は本質的に競争社会と言い換えられる。

よしんば、両親から優れた遺伝子を受け継ぎ、生まれつき才能の溢れる人物として生まれたとする。だが、生まれ持った才能だけを武器に競争で勝つ、勝ち続けるには難しい。なぜなら才能の有無にかかわらず、努力しなければ競争に負けてしまうからだ。

ピカソやモーツァルトは芸術の世界で天才の中の天才だった。歴史上の人物の中でも群を抜いて才能があったに違いない。だが同時に、彼らは多作として知られている。ピカソは素描、油絵、版画、彫刻や陶器を計14万点以上制作した。モーツァルトは500曲を超える音楽を作ってきた。彼らの残した名作は数多くあるが、ゲルニカや老いたギター弾き、アイネ・クライネ・ナハトムジークといった超有名作品以外の裏には、それほど著名でない作品がほとんどだったはずだ。

つまり、1つの傑作を作るには100の失敗という試行回数が必要なのだ。彼らは多くの作品を作るという努力を通じて、結果を出したということになる。これは才能という原石を努力することで光らせる行為と評することができるだろう。

結局のところ、圧倒的に努力しなければ才能という原石も決して光ることはないのだ。