これを受けて井沢氏は、『週刊ポスト』2021年2月19日号掲載の「逆説の日本史」で、『歴史街道』1989年11月号掲載の論考に書いた、と述べた。そこで確認したところ、驚くべきことに、『軍鑑』が真書であるとは一言も書いていない。

同論考のタイトルは「偉大なる「軍師」山本勘助はなぜ否定されてきたのか?」で、井沢氏が展開しているのは、タイトル通り、山本勘助実在説である。『軍鑑』は山本勘助の息子があることないこと書いた偽書だという『武功雑記』(江戸前期の肥前平戸藩主である松浦鎮信が記した書)の説を引き、『軍鑑』に極めて批判的な鎮信でさえ勘助の実在を否定していない、と指摘し、ゆえに『武功雑記』は「勘助の実在を逆に証明している」と述べている。この主張じたいには見るべきところもあるが、『軍鑑』が真書であるという議論は一切展開されていない。

なお山本勘助実在説は、1969年に市川文書が発見されたことで、既に歴史学界で提唱されていたが、1989年時点では慎重な意見もあった。実在説の定説化は、真下家所蔵文書・沼津山本家文書の発見以降である。

井沢氏は上記論考で「史学界ではこの市川文書を無視し、相変わらず勘助非存在の説を頑なに守っているのである」と批判するが、歴史学者の磯貝正義氏は1977年に発表した『定本 武田信玄』(新人物往来社)で市川文書を紹介し、山本勘助の実在が証明された、と論じている。したがって、史学界では市川文書を無視しているという井沢氏の説明は誇張である。

ともあれ、酒井説より早いという井沢氏の主張には疑義がある。ぜひ井沢氏には、『甲陽軍鑑』が真書であると明言した最初の論考をご提示いただきたい。

※本論考は拙著『武士とは何か』(新潮社、2022年)の一部を抜粋、改稿したものである。

【関連記事】 ・通俗日本論の研究①:堺屋太一『峠から日本が見える』 ・通俗日本論の研究②:渡部昇一『日本史から見た日本人 古代篇』 ・通俗日本論の研究③:渡部昇一『日本史から見た日本人 鎌倉篇』 ・通俗日本論の研究④:渡部昇一『日本史から見た日本人 昭和篇』 ・通俗日本論の研究⑤:梅原猛『神々の流竄』 ・通俗日本論の研究⑥:梅原猛『隠された十字架 法隆寺論』 ・通俗日本論の研究⑦:梅原猛『水底の歌 柿本人麿論』 ・通俗日本論の研究⑧:梅原猛『怨霊と縄文』『日本の深層』