「三十三観音巡礼」という、旅のカタチをご存知でしょうか。
観音様は救いを求める人々を観察し、助けたい人に一番ふさわしい姿になって現れる、その姿が三十三身あると言われています。
そのことにちなみ、日本各地に三十三観音の霊場が作られました。
全国的に有名なのは、西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所があり、この3つの三十三観音巡礼を合わせて「日本百観音」と呼んでいます。
日本百観音は関西~関東と広範囲ですが、ひとつの県に3つの三十三観音を持っている県が、日本にひとつだけあります。
それが山形県です。
山形県にある3つの三十三観音とは、最上三十三観音、庄内三十三観音、置賜三十三観音で、それらを総称して「やまがた出羽百観音」と呼んでいます。
山形県は古くから歴史ある文化が多く残っており、自然を尊び、自然に感謝する心が生み出した「精神文化」もそのひとつです。
やまがた出羽百観音を巡礼することで、私たちが得られるものとはなにか?
それをひとことでいえば、「観音さまを身近に感じ、ほっと安らいだ気持ちになれること」と言えるでしょう。
やまがた出羽百観音の「素朴でありながらも厳かな佇まいや豊かな自然の情景を通して、現代社会を生きる人が抱えている「心の疲れ」に安らぎや癒しを感じる」
それが、やまがた出羽百観音巡礼旅の意味であり、価値でもあります。
この記事では、やまがた出羽百観音とはどういうものか? そしてその中のひとつ「最上三十三観音」について深めていきます。
また観音様巡礼だけでなく、最上三十三観音エリアの観光スポットや食べ物についても紹介していきますので、旅の参考にしていただけたら幸いです。
やまがた出羽百観音とは?
「巡礼の旅」と聞いてまず浮かぶのは「お遍路」四国八十八か所巡りではないでしょうか。
ところで、四国お遍路の旅と観音様巡礼の旅との大きな違いは何か、ご存じですか?
四国八十八箇所巡りは、弘法大師にゆかりのある寺社を参拝する旅を言い、百観音、三十三観音巡礼は "観音様" をお参りする巡礼旅です。
観音様は、貴賤を問わず多くの人の願いに寄り添い、幅広くお救いになる、私たちにとって一番身近な仏さまと言えるでしょう。
「南無観世音」と合唱すれば、即時に観世音菩薩の妙智力を持って救われると言われています。
観音様は救いを求める人々を観察し、助けたい人に一番ふさわしい姿になって現れる、その姿が三十三身あると言われています。
そのことにちなみ、各地に三十三観音の霊場が作られました。
三十三観音をお参りし、二世安楽(現世と来世の安楽)を願う巡礼、それが三十三観音巡礼旅なのです。
やまがた出羽百観音のそれぞれの特徴
やまがた出羽百観音は3つの三十三観音(最上、庄内、置賜)からなっています。
それぞれの三十三観音の特徴をひとことで言い表すと次のようになります。
- 最上三十三観音:名所と重なりあう 580年の歴史ある巡礼地 一番歴史が古く規模が大きい
- 庄内三十三観音:山岳信仰の聖地から名湯へ連なる海沿いへの旅路 コンパクト
- 置賜三十三観音:地域で守り継ぐ素朴な霊場。花めぐり、湯めぐりとともに
※置賜三十三観音のみ、お堂の外から参拝する。
最上、置賜は観音堂の名前に集落の名がつけられているのが特徴です。集落の人が願いを込めて自分たちの手でお堂を建てたという歴史からなっているのです。
ここで、疑問に思われるかもしれません。
「三十三観音をすべて参拝しないとご利益はないのか?」
いいえ、そんなことはありません。すべての観音様をお参りしなくてもご利益はあります。
古来、人々は自分の住んでいる集落の観音さまを拝んでいました。
それがいつの頃からか、地元のお寺だけでなく、他所へも足を伸ばして参拝するようになり、そこから次々へと参拝の道を繋いでいったというのが巡礼旅の始まりです。
その意味から見つめてみると、巡礼旅は、観光旅行の始まりであるともいえるでしょう。
札所の意味
観音堂を札所とも呼びます。
それは昔、名前、住所、願いを書いた木の札をお堂に打ち付けていたことからです。観音堂を札所(ふだしょ)、巡礼を「札(ふだ)打ち」と呼ぶのは、このためです。(現在は木の札ではなく、紙札が使われています。)
最上三十三観音とは?
やまがた出羽百観音の中で、最も古い歴史を持ち、大きい規模を誇っているのが最上三十三観音です。
起こりは室町時代までさかのぼる日本国内でも屈指の歴史深い巡礼地です。
最上三十三観音では、村山地方を中心に最上地方まで最上川沿いに点在する観音堂の佇まいが、周囲に広がる懐かしく美しい景観と共に私たちの暮らしを見守り、心を癒してくれます。
この地域に三十三観音が起こったのは、山形藩主5代目最上頼宗の一人娘である光姫が、自身をめぐる争いで命を絶たれた武将を憂いて出家し、三十三の霊場を巡ったことに由来します。
今年2022年が御開帳の年に当たり、たくさんの巡礼者が参拝しています。(本来は2020年の子歳が開帳予定でしたが、コロナにより2年延期して今年が開帳となっています。)
この記事では最上三十三観音の中から、1番 若松観音、33番 庭月観音、5番 唐松観音、25番 尾花沢観音をご紹介します。
1番札所 若松観音 若松寺(じゃくしょうじ)

天台宗の寺院。奈良時代(708年)行基菩薩が開山し、その後、平安時代の貞観2年(860年)山寺(立石寺)を開山した慈覚大師(円仁和尚)が鈴立山の山頂付近にあった御堂を現在の地に移しました。若松寺は開山が行基菩薩、中興の祖が慈覚大師と言えます。
行基がこの地にたどり着いた時、山の東方から鈴の音が聞こえてきた為、山上に登ったところ、光り輝く三十三観音の御影を拝したことから開山し、後に弘法大師が護摩を奉修したと伝わります。

観音堂は国の指定重要文化財に指定されています(室町時代創建)。

観音堂から少し登ると、月山も見える絶景ビュースポットもあります。
若松寺は、縁結び観音としても知られており「西の出雲、東の若松」と言われています。
あの有名な花笠音頭「めでためでた~の若松さまよ~」に出てくる若松さまとは若松寺のことです。

33番札所 庭月観音 月蔵院(がつぞういん)


天台宗の寺院で鮭川沿いに建てられており、最上三十三観音の打ち止めの寺でもあります。
歴史は平安時代まで遡ります。ご本尊である聖観世音菩薩さまは、慈覚大師(円仁和尚)一刀三礼の作であり、その優しき微笑は1千年の時を超え、今に語り継がれています。
こちらの観音堂の所在地は庭月利左衛門広綱という人物にちなみます。当初は城内に観音様を置いていましたが、家臣である庭月利左衛門広綱が「観音様は人々を苦しみから救う仏様なので、広く領民に礼拝させるべき、と進言します。そして東北一の清流と言われる鮭川河畔に観音堂を建て、観音様を安置しました。


庭月観音の山門は「おかげさま門」と呼ばれています。「自分が生きているのは数多くのおかげさまを受けているから」というこのお寺の教えから名づけられました。庭崎ご住職からも幾度も「おかげさま」というお言葉を伺いました。

境内は清々しい空間に満ちています。すごく空気がきれいな感じを覚えました。

鐘はNHKのあの「ゆく年くる年」にも登場したそうです。
5番札所 唐松観音 護国寺

曹洞宗の寺院。観音堂は切り立った断崖に建てられており、山形十景のひとつに数えられています。
平安時代に平清水の住人 森山某の妻が戦死した夫の冥福を祈り開山したと言われています。また京都一条殿の豊丸姫が旅の途中で、当地に住む炭焼き藤太と大恋愛の末に結ばれ、末永い幸せを願って観音像を洞窟に安置したのが始まりという説も残っています。

よくこんな場所にお堂を建てたものです。京都の清水寺に似ています。

観音堂から見える風景がこちらです。

唐松観音も川沿いに建っており、駐車場には芋煮会で使われた大鍋が展示されています。(第1~3回まで使われた初代大鍋)
25番 尾花沢観音 養泉寺

天台宗の寺院。
慈覚大師が害虫の被害に悩む農民の窮地を知り、その駆除を祈願して観音様を安置した。これが尾花沢観音の始まりと伝わります。

あの松尾芭蕉と弟子の曽良が7日間逗留したと言われており、境内に句碑が立っています。