オーストリアを代表する作曲家、シューベルト。その名曲「鱒」は、オーストリアのほぼ中心部にあるシュタイヤーという町で生まれた。作曲家ブルックナーもこの町でその半世紀後に夏を過ごし、晩年まで何度も訪れている。

古代ローマ時代から鉄鋼業の町として栄え、中世やバロック時代の面影を残す、産業と文化両方の側面を持つ町シュタイヤー。今回は、音楽家たちが愛したこの町の魅力と歴史に迫る。

目次
シュタイヤーの町の歴史
シュタットプラッツの街並み
シュタイヤーゆかりの音楽家たち
まとめ

シュタイヤーの町の歴史

シュタイヤーの町は、シュタイヤー川がエンス川にYの字を形成して合流し、後にドナウ川に流れ込む、交通の要所だ。これらの川の上流には古代ローマ時代から知られたエルツベルク鉄鉱山と、鉄鋼業に不可欠な木材を切り出す森があり、この2つが運び込まれたシュタイヤーの町では、紀元前から鉄鋼業が盛んに行われていた。

中世の時代になってこの地は、ドイツ、ハンガリー、チェコ方面から何度も侵略を受け、最終的にはオーストリアの土地となった。オーストリア君主バーベンベルク家の時代、この地でナイフや甲冑を作る産業が発達し、ヴェネチア共和国との貿易で栄えた。

19世紀になると、この地の鉄鋼業は自動車産業や武器工業として世界的に有名になる。自動車メーカー、シュタイヤー・ダイムラー・プフ(現シュタイヤー・モーターズ)社や武器メーカー、シュタイヤー・マンリヒャー(現シュタイヤー・アームズ)社は、この時に作られたシュタイヤー・ヴェルケという会社が起源となっている。

第二次世界大戦中は、ナチス・ドイツの軍事工場となったこともあり多くの爆撃を受けたが、工業の町として知られている割に旧市街の歴史的建造物は非常に美しく、シュタットプラッツと呼ばれる中央広場は、ドイツ語圏で最も保存状態の良い旧市街の建物群と言われている。

シュタットプラッツの街並み

この町の大きな見所は、美しい中世ゴシック建築が立ち並ぶ中央広場シュタットプラッツだ。

音楽家たちが夏を過ごした、建築と音楽と鉄鋼の町シュタイヤー
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<シュタイヤーの中央広場シュタットプラッツ>

広場の真ん中に堂々と立つのが市庁舎。同規模の近隣の町と比べても、街並みの歴史的建造物の保存状態は群を抜いている。

中世の時代と同じように、この中央広場では定期位置が立ち、音楽が演奏される。この日は、アルプホルンのコンサートが開かれていた。

音楽家たちが夏を過ごした、建築と音楽と鉄鋼の町シュタイヤー
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<アルプホルンの演奏>

13世紀半ばからの歴史を持つこの広場に残されるブンメァルハウス(Bummerlhaus)と呼ばれる建物は、現存するこの町最古の家で、オーストリア国内でも屈指の宗教建築以外のゴシック様式の建築とされている。

音楽家たちが夏を過ごした、建築と音楽と鉄鋼の町シュタイヤー
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<三角屋根の建物がブンメァルハウス>

この町の魅力はこれだけではない。この中央広場に出る道の多くが細く長い通路となっていて、まるで迷路に迷い込んだような感覚に陥る。この通路は14世紀の壁と面していて、中世の頃から広場へ向かう町の人たちが通っていたまさにその路地を、自分が今歩いているということを実感する。

音楽家たちが夏を過ごした、建築と音楽と鉄鋼の町シュタイヤー
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<中央広場に向かう、中世の空気の漂う通路>