シュタイヤーゆかりの音楽家たち

シュタイヤーにゆかりの音楽家は、シューベルトとブルックナーだ。シューベルトはこの町に3回滞在し、シュタットプラッツには、シューベルトが暮らした家が2軒もある。

1819年には、友人で歌手のフォーグルと共に、前述のブンメァルハウスの左隣のクリーム色の家に滞在し、「鱒」の作曲を始めている。この時に22歳のシューベルトは兄に、「この家には8人も女の子がいて、ほとんどみんながかわいい」と書き送っている。この家には1823年にも滞在している。

1825年には、同じシュタットプラッツにある現シューベルトハウスに滞在した。ここには現在シューベルトのレリーフも飾られている。

音楽家たちが夏を過ごした、建築と音楽と鉄鋼の町シュタイヤー
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<シューベルトハウス>

シュタイヤーの町には、まだシューベルトゆかりの地がある。シューベルトに多くの詩を提供した友人で、ウィーンでは一緒に住んでいたこともある詩人のフランツ・マイヤーホーファーの故郷がシュタイヤーで、この人物が生まれた家にも史跡パネルがある。

音楽家たちが夏を過ごした、建築と音楽と鉄鋼の町シュタイヤー
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<マイヤーホーファー生家>

また、作曲家として有名なアントン・ブルックナーは、友人がこの教会の合唱団長をしていたことから1884年から何度もこの町で過ごし、教会のオルガンを弾いたり、交響曲第八番と第九番を作曲したりした。この町は非常に居心地が良かったらしく、故郷のサンクト・フロリアンが無理ならここに埋葬してほしいと遺言を残している。教会にはブルックナーの史跡パネルの他、彼の最初に作られた像もある。

音楽家たちが夏を過ごした、建築と音楽と鉄鋼の町シュタイヤー
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<ブルックナー所縁の教会>

音楽家たちが夏を過ごした、建築と音楽と鉄鋼の町シュタイヤー
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<教会のそばの建物では、ブルックナーが1886から1894年まで休暇中に滞在したとの銘板がある>

音楽家たちが夏を過ごした、建築と音楽と鉄鋼の町シュタイヤー
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<国内最古のブルックナー像>

まとめ

中世の時代の美しい街並みを見せる町シュタイヤー。その歴史的な街並みや細い路地を、ゆかり音楽家たちが日々通って生活していたことだろう。鉄鋼業の町として紀元前から栄え、戦禍を生き抜いたこの町は、訪れる者を歴史と建築と音楽の迷宮に案内してくれる。

文・写真・ひょろ/提供元・たびこふれ

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