一般に憲法の規制対象とされているのは「国家」の側で、あくまで国家権力を縛るものであり、国民や団体を縛るものではないとされている。
日本国憲法の制定にあたっての国会審議でも、金森徳次郎憲法担当国務大臣が「20条は、宗教団体の政治活動を禁止する規定ではない」としている。
しかし、細川内閣に四人の閣僚を送り込んだときには、自民党に「憲法20条を考える会」(会長は亀井静香、ついで白川勝彦)が結成され、ついで、広い範囲の宗教団体や識者を集めた教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会、通称「四月会」が結成され、反創価学会キャンペーンが展開され、霊感商法や合同結婚式を機に燃えさかっていた統一教会への糾弾を脇に追いやるほどだった。
自民党の亀井静香広報本部長は、細川内閣成立前日の創価学会本部幹部会で池田大作名誉会長が公明党が大臣ポストを4つ得たということを喜んでした発言というものを取り上げて、「なぜ池田大作は内閣成立前に公明党が大臣ポストを得たことを知っていたのか」と衆議院予算委員会の代表質問で政教分離に疑問を呈した。
その延長線上で、執拗に池田名誉会長個人に、標的を定め、宗教法人法改正審議の国会への参考人招致を要求した。とくに1995年12月1日の国会は緊迫し、自民党がプロレスラー出身の馳浩やサッカーの釜本邦茂らを送り込んで強行採決の構えを見せれば、新進党は高市早苗が「悲鳴を上げる」、畑恵がハイヒールで武装するという有様だった。
しかし、社会党が混乱は村山首相の退陣にもつながりかねないとブレーキをかけ、とりあえずは、秋谷栄之助創価学会会長の招致ということになり、法改正も成立した。
自民党では、機関誌『自由新報』に「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」を96~97年に82回も連載し、96年総選挙で新人ながら新進党候補を破って初当選した菅義偉の選挙を「創価学会、恐るるに足らず」と報道したり、池田に対し元学会員がセクハラを受けたと損害賠償請求訴訟を起こしていた信平事件の原告の言い分を報じたりした。
しかし、この事件は裁判の進行のなかで、どう考えてもでっち上げであることが判決以前に明らかになったので、1998年4月28日付で自由新報の紙上で全面的に謝罪し、過去の連載について与謝野馨自民党広報本部長が「申しわけなかった」と謝罪した。結果的には、この謝罪が学会員と自民党のわだかまりを拭い去り、前年に成立していた自公連立を強化した。
このころ、「東村山デマ事件」「白山さん事件」「信平訴訟」の三大デマ事件と創価学会が呼ぶスキャンダル報道が週刊誌などでされていたが、日蓮正宗宗門と学会のトラブルや、その時期に学会を恐喝して実刑判決を受けた元顧問弁護士に便乗したものだったので、もともと無理があった。
いわゆる創価学会についてのスキャンダルは、ほぼ学会側の勝訴に終わっており、最近もそれを蒸し返している人がいるが、そうしたものに依拠した批判には無理がある。
そして、自民党は、与党に復帰してからは公明党との関係修復に乗り出した。これを見た小沢一郎の工作で、新進党から分党した自由党と公明党のいずれもが小渕恵三内閣に参加することとなった(99年の自自公連立政権)。
さらに、小沢は自民党への復党ないし自民党と自由党の合併を模索したが拒否され、自由党は連立を解消して野党に転じる。一方で公明党は与党に残り、野中広務自民党幹事長らの努力もあり、自民党への不信感は解消され、自公連立は確固たるものになり、小泉・安倍・福田といった清和会政権のもとでも、安定したものになり、現在に至っている。
小泉首相や安倍首相でも、公明党との関係について細心の努力をしており、それはまた、清和会が旧統一教会の影響下にあったという馬鹿げたいいがかりが虚偽である証拠でもある。
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