人間関係とはお互いに選んだ時のみ発生する
上述の通り、片方だけが相手を求める関係は本質的にあり得ない。アイドルとファンの関係においても、アイドルはファンの応援や資金提供というメリットと、ファンサービスを当価値交換していることからも、ビジネスにおいては金銭が片方のニーズ不足を充足して取引がなされる。
先日見たニュースで、高齢男性が20代女性にアプローチするも、相手にしてもらえなかった怒りから嫌がらせをしたというものがあった。これは一方通行の人間関係の構築は成就し得ない、という社会的な本質を見落としたことから生じている。
自分は小規模な発信者をやっているが、付き合う相手は選ぶし、相手からも選ばれていいと考えている。お互いに選び合う。だから自分が関わりたくない人は意識的に避けるし、筆者と関わりたくないと思う相手からはブロック機能などを活用して積極的かつ確実に避けてもらいたいと思っている。
このような思考では人間関係の構築に至らないのではないだろうか? と言われるかもしれない。否、一緒に遊んでお互いに楽しいと感じる友達だったり、一緒に人生の苦楽を共にしたいと感じる家族においてはお互いが求め合う関係が生じることがある。これは本質的に両者が相手と付き合いをすることを選んだ結果である。片方が拒絶すれば、この関係性は生じ得ない。やはり、この場合においてもお互いが選ぶ側の立場を取っているといえよう。
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よく聞く話が「自分はスペックが低い人物であるため、誰からも求められない。だから自分なんかが選ぶ側をやってはいけない。誰かが選んでくれたら御の字という謙虚さを持たなければ」という話があるが、そんなに自分を卑下する必要はないと思っている。
確かに自分が望む相手とのマッチングの難易度は低くはないだろう。しかし、条件を変え、柔軟さを持って探し続ければ、どこかで自分も選び、相手も選んでくれるような関係性に巡り会えるはずだ。実際にそういう事例を見てきた。
マッチングを阻害する最大の理由は、巡り会える舞台に身をおいていないことだ。自身のスペックを気にせず、YouTubeやブログといった特定多数に見られる場に身をおいて発信を続けた結果、逆にそのコンプレックスが武器になって結婚や親友獲得に行き着いた事例はいくらでもある。
蓼食う虫も好き好き、人の好みは人の数だけ存在する。「世の中誰もが選ぶ側。自分も付き合う相手を選んで良い」という発想は有効ではないかと個人的に考えるがどうだろうか?
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