上海には19世紀から租界(外国当局が統治するエリア)があったことで、多くの西洋式建築があり、当時財を成した富豪の邸宅も数多く残っています。今日ご紹介するのはモラー・ヴィラと呼ばれる邸宅。ここモラー・ヴィラはひときわ規模が大きく、また建築様式も珍しく、建物内外の造作もお金と手間をかけられて作られたことが伺える建造物です。

目次
モラー・ヴィラの主・モラー氏とは?
モラー・ヴィラの外観

モラー・ヴィラの主・モラー氏とは?

モラー・ヴィラの「モラー」とは邸宅を建てた主の名前です。彼のフルネームはイギリス国籍のエリック・モラー。エリックの父であるニルズ・モラーは上海で租界が始まったばかりの時期に上海に渡り、銀行員から起業し海運業、貿易、競馬ビジネス等を手掛け、「冒険者の楽園」と呼ばれた租界時代の上海で莫大な富を築きました。

1913年より息子エリックが事業を継承。海運業を更に拡大し、1920年代には船舶のメンテナンス事業も行います。上海を流れる黄浦江に埠頭を建設して船の整備ドッグを造りました。この埠頭は「モラー埠頭」と呼ばれたそうです。この事業も拡大を続け、小型船舶の製造所も設立(こちらの製造所は現存し、中国製造業500社にも入っている「滬東中華造船集団」の前身となりました。)

建造を決めたのが1927年、その後の設計、建造に多くの年月を費やし、邸宅が完成したのは6年後の1936年でした。1937年より上海は戦禍に見舞われ、1941年にはモラー一家は上海から避難。その後戦争の終結とともに上海に戻るも、戦時中はモラー・ヴィラは接収されたり、また事業を再開しようにも以前と環境が異なり商機が見いだせなくなったりして、1950年にモラー一家は上海から完全撤退しました。一家がこの邸宅でゆったり過ごせた時間はそれほど多くなかったと思われます。

その後、モラー家は東南アジアでもビジネスを手掛け、現在はイギリスに競走馬の牧場を所有しているとのことです。

この邸宅は、現在ホテル、レストラン「衝山馬勒別墅飯店」として営業をしており、利用客は建物の中に入ることができます。上海旧建築ファンとして、モラー・ヴィラはぜひとも訪れたい場所の一つでした。普段は外から伺うだけでしたが、この度こちらでアフタヌーンティーを楽しむ機会があり、念願のモラー・ヴィラ内部訪問となりました!

モラー・ヴィラの外観

まるで童話の世界に出てくる洋館!モラー・ヴィラでアフタヌーンティーを
(画像=<モラー・ヴィラの正門>、『たびこふれ』より引用)

モラー・ヴィラの門。邸宅の正門です。この門は中国式の屋根があることが特徴です。門の作りも中国風の要素が入っていますね。このような西洋と中国式が混ざった建築様式は主の好みを反映していますが、西洋風建築ではまず見られないミックスぶりがモラー・ヴィラの面白いところです。

まるで童話の世界に出てくる洋館!モラー・ヴィラでアフタヌーンティーを
(画像=<青銅製の馬の像>、『たびこふれ』より引用)

邸宅入口脇には青銅製の馬の像があります。これはモラーがオーナーになっていた馬の実物大の像で、競馬レースで優勝し、多くの富をモラーにもたらしたのだそうです。モラーはこの馬を非常に大切にしており、馬が亡くなった際には手厚く弔い、この像を建立したほか、このヴィラの庭に馬のお墓も建立したのだそうです。

まるで童話の世界に出てくる洋館!モラー・ヴィラでアフタヌーンティーを
(画像=<邸宅入口>、『たびこふれ』より引用)

邸宅入口には石の獅子が一対あります。これも主の中華風なものへの趣味を表しています。この獅子は一見すると中華風ですが、デティールが中華風とは異なっており、西洋風獅子と言われています。

モラー・ヴィラ全体の建築様式は上海には珍しいノルウェー風建築です。ノルウェー建築はとんがり屋根が特徴ですが、北欧の厳しい寒風の侵入と積雪を避けるための工夫なんだそうです。建物は6棟、部屋数は106部屋にものぼります。

まるで童話の世界に出てくる洋館!モラー・ヴィラでアフタヌーンティーを
(画像=<「FAIRYLAND(おとぎの国)」のプレート>、『たびこふれ』より引用)

この外観だけ見ても、凝った造り、使われている建材に巨額の資金をかけたことが伺えますね。モラー・ヴィラにはあるエピソードがあります。それはこの邸宅を建てる前、モラーの愛娘が夢で「おとぎ話に出るような家」を見、その話を聞いたモラーがその夢を具現化しようと建てた、ということです。そのエピソードからか、邸宅正面には「FAIRLYLAND(おとぎの国)」のプレートがあります。

邸宅の中に入ります。