BTSやテイラースイフトが好きな人は韓国やアメリカだけではなく世界中にファンがいます。その人たちが作り出す分散型自立組織という考え方は可能です。発想としては共通のインタレストを持つ人たちが集まり、何かを作り出すということにもつながります。これは時としてスポンサーを超える力を生み出すかもしれません。
日本の社会は「お上(=スポンサーや株主)」に対する遠慮意識が異様に強いと言えます。メディアなどはその端的な例です。が、仮にメディアや企業が株主からの束縛から解放され、DAOがその経営支配をしたらどうなるでしょうか?DAOとはその経営に興味があるすべての関連者、顧客も取引先も従業員など全てです。その時、株主の意向ではなく、より公共性の高い判断が下されるのではないか、というものです。
美談です。もちろん私はそう簡単なものではないと思っています。そもそも意見を言う人、講釈を垂れる人はどんな世界にもいるもの。そしてそういう人はしつこいしうるさいし、自己主張が顕著であります。100人のDAOがいてもごく一部の声の大きな人の影響力は消すことが出来ないだろうと思います。よってこのコンセプトは適用しやすいところとそうではないところがあり、万能型ではありません。クラウドファンディングで100人からお金を集めたとしてその中に強い意見を言う人がいたら経営者はウザいと思うでしょう。企業が時々MBOをして非上場にするのはDAOの真逆だともいえます。
そうはいっても私は徐々にこの社会は成長するとみています。「社会にリーダーは必要か?」という議論があります。これは参加者が果実を平等に共有できるならリーダーが必要以上にそれを奪い取らなくてもよいだろう、という考えです。今の北米の上場会社のトップの報酬は異様なほど高いです。不平等社会を生み出した原因の一つです。ではREITの組織はどうかといえば報酬は低廉に抑えられ、より平等な分配が形成されているからこそ高い配当が期待できます。その代わり成長率は低いです。そう、徐々に、なのです。
社会は急激な成長から成熟時代を迎えつつある中、「徐々に」というスピードを受け入れるならこれはアリでしょう。日本は既に30年も「徐々に」進んでいます。が、日本人から不幸せだという声は諸外国に比べはるかに少ないでしょう。一種の分散型自立組織が世界より一歩早く展開しているのかもしれません。
この概念は実に面白く、奥深く、日本人論にまで展開できるものだと思います。世界の潮流をこういう形で見るとまた違った絵図になるのではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年12月1日の記事より転載させていただきました。