本書でも池田の言葉として紹介される「大衆」は、現在公明党のホームページにも大きく紹介されている。池田大作は議員を前に、初心忘れるべからずとの趣旨で、こう訓示したのである。

以上のことから、創価学会の歴史を知る上で本書は必読書と言える。しかし、著者と創価学会の心理的距離が近く、客観性に欠ける点は残念である。本書の内容が優れているが故に、著者が創価学会のスポークスマンの役割を果たしていると評価されれば、創価学会員以外の一般読者をむしろ遠ざけてしまう。

例えば、日頃の自民党に対する著者の激しい批判は、創価学会に対しては鳴りを潜める。「私は池田の覚悟と後継者への深い愛情を感じる」と書いているが、取材対象に対して著者自身が共感を示しては内容に疑問符がつく。また、長年の自公連立政権で不満が溜まっているとされる一般会員の声までは十分取材せず、原田会長など幹部との対談でお茶を濁している。

いかなる組織も完璧なものはなく、内部に抱える不満や矛盾を突くことこそジャーナリストの役目ではないだろうか。その役目を果たしてこそ、逆境の中でも政治に大きな影響力をもつ創価学会の実像が見えてくるはずだ。

著者の矛盾する言動はここにもある。本書には政教分離の原則として「宗教団体の政治活動を禁止するということではなく、国家が特定の宗教団体に介入することを禁ずるものである」と明快に書かれている。実際に内閣法制局長官の国会答弁でも同趣旨のことが発言されており、この点は宗教と政治を語る上での重要な立脚点だ。

しかし、著者は自身の公式サイトで統一教会に触れ、「岸田内閣が、質問権を厳しく行使していけば、法人格をはく奪する、解散命令の請求まで行き着くはずである。さまざまな抵抗や妨害はあるだろうが、岸田首相は、国民のために死に物狂いでやり遂げなければならない」と断言している。

舌の根も乾かぬうちに、とはこのような著者の言動を指すのではないか。

著者の立ち位置については疑問が残る。しかし、通史としての創価学会の歴史や公明党との関係、学会の基盤となる日蓮大聖人の教えなどを網羅した本書は大変貴重である。本書を学会員への「参考文献」としてのみ留めておくのは惜しい。好き嫌いは別にして、多くの読者が一読するに値すると私は考える。