勝つしかない…。この一戦が自身の力量を示す好機であり、生涯を左右すると池田は強く自分に言い聞かせていた。
公明党結党前の1956年、創価学会は初の国政選挙に臨む。池田大作は当選ほぼ不可能と言われた大阪選挙区に送り込まれた。当選ライン20万票と言われる中で、選挙区内に学会員は3万世帯のみ。創価学会の中では不可能を可能にした「大阪の戦い」として語り継がれる池田の初陣は、泡沫候補に過ぎなかった白木義一郎を勝利に導く奇跡であった。
評者は自民党員で、選挙を戦う集団としての創価学会に関心を持っていた。自公では、憲法改正や外交安全保障への考え方で立ち位置は異なる。双方の支持者が相手に対する不信感や、譲歩を重ねる自党の執行部に不満を持つとも言われる。
しかし、意見を異にしても直ちに離婚、とはならず「結婚生活」は20年を超えた。来春、評者自身が党公認で選挙に臨む。まずは「配偶者」としての創価学会を知る努力をし、理解を深めようと考えた。
大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく。
本書はベテランジャーナリストの著者による、創価学会の通史だ。特に第3代会長の池田大作は別格の存在として描かれる。それは学会存亡の危機を何度も乗り越えた不屈の闘志と、多くの学会員を魅了した類まれな指導者としての資質と実績である。