「がんもどき理論」「がん放置療法」「標準治療の否定」

その後近藤氏は、日本の「手術偏重主義」を否定し、著書で独自の「がんもどき理論」や「がん放置療法」を説くようになった。その頃から、近藤氏の著書は、医学的に正しい言説と、「トンデモ」ともいわれる自説がモザイク状に混在するようになっていく。このため、ときには、医療従事者にとっても、真偽を見極めるのが難しい部分がある。ましてや、患者や一般の人が、それぞれの説の真偽を見極めるのは、非常に困難だ。

「がんもどき理論」「がん放置療法」とは、がんはもともと、転移をして命に関わる「本当のがん」と、そのまま放置しても大きくならずに命に関わらない「がんもどき」とに分けられるから、「本物のがん」であれば見つかったときにはすでに遅く、「がんもどき」は放置しても命にはかかわらないから、いずれにせよ、慌てて治療する必要はないとの説だ。

医学的な事実はこれほど単純ではないが、しかし、全くの間違いというわけではない。乳がんの非浸潤がんの一部や、甲状腺がんの一部の「おとなしいがん」に、こういった性質のものがあることも事実だ(しかし、そういったがんを、発見時に見分けることはできない)。健康診断の否定もそうだが、そこには、部分的な正論がいくつもあり、「必要のない治療を、必要のない時期に受けてしまう」過剰診断・過剰治療の問題に警鐘を鳴らしているとも言える。

また、著書内には標準治療の否定やワクチン忌避などの言説も見られるようになり、いくつものベストセラーが誕生した。

「よりそう医療」と「正しい医療」はどうバランスをとるべきなのか

近藤氏の著作がなぜ大きな共感をよんだのか。医療従事者や識者には、当時の「医療不信」をあげる人は多い。それはおそらく正しく、近藤氏は、医学的に正しいか正しくないかにかかわらず、徹底して患者の、不安や不満を含めた感情に寄り添っている(しかし、それは、社会的にも医療的にも、あまりよい結果を生まなかった)。

※画像はイメージですandrei_r/iStock

医療は、医学的に正しい診療が行われ、しかも、医療者が患者の様々な感情や選択によりそうのが理想だが、そういった医療は、日々、多くの医療従事者の努力により、少なからず実現されている。しかし、患者と医療者とのコミュニケーションがうまくいかず、突き放されたように思ってしまった場合、「不安に寄り添ってくれる、民間療法を含む、科学的根拠のない医療」に患者が向かうこともときに起こることだ。

「よりそう医療」と、「正しい医療」を、どのようにして両輪のように実現していけるのか。にそこには未だに多くの課題が残されている。筆者が運営メンバーをしている「メディカルジャーナリズム勉強会」では、こういった問題について考えるため、近藤氏の元患者であった方や、初期の文藝春秋における担当編集者をお招きし、医療の課題について話し合う会を開催する。

メディカルジャーナリズム勉強会オンラインサロン特別編 『近藤誠』を語る〜見えてくる医療の課題〜
11月26日(土)19:00〜 Zoomオンライン開催 2022年8月に訃報が伝えられた、「患者よ、がんと闘うな」などの著作で、多くの議論が引き起こされてきた医師、近藤... powered by Peatix : More than a ticket.