その昔、農民は厳しい年貢の取り立てで苦しめられ、手元に残るのは自分たちが食べる分だけだったようなこともあり、百姓一揆がしばしば起きたのはご承知の通りです。当時はコメが第二の通貨のような意味合いすらあった一方、コメを生産できるのは農民だけであり、農民依存の社会が生まれます。
江戸時代は戦さが少ないことで武士の本来の仕事はヒマ、一方で食えない武士ばかりで結局、普段は農民をやりながらいざとなれば武士に早変わりでありました。江戸時代で力をつけたのは結局商人ですが、職業に貴賤なしと言われながらも武士で商人の手伝いをする者はまずいなかったのもこれまた歴史であります。

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地方の大名は農民から搾り取る、徳川さんは地方大名から更に搾り取る、という「搾取の文化」が江戸時代の基本であり、これが不幸にも明治以降も引き継がれ、今でもその考え方が明白に残っています。
それは「3代で家はなくなる」と揶揄されます。今の相続税を払い続ければ3代目、つまり孫の時代でおじいさんの作った財産は使い果たす、という例えです。もちろん、世の中のシナリオはこれほど単純ではありませんのでこれを真に受ける必要もありません。
違う例としてはギャンブルで100億円を浪費した井川意高氏は懲役刑4年を経て、出獄後、親譲りの製紙関連の株式をすっかり売却します。その金額540億円也で、税金を払った残りが彼の手元に入り、それを元手に再びカジノ三昧の生活をしていると報じられています。
この場合は勘定奉行の取り立てで苦しくなるのではなく、いわゆる「2代目、3代目が会社を潰す」という言い伝えの方で、彼も財をなくす方に突っ走っているように見えますが、世の中、案外、阿呆な人間ほど幸せなのではないか、と思うこともあります。
それはさておき、日本は基本的に故人の財産は没収する考え方がどこかにあります。神道的に「我々人間はこの世で生かされているのであり、それが終わった時は得たものを神様に返さねばならぬ」という発想がないとも言えません。中国では住宅の所有は70年の賃借権で所有は出来ませんが、日本も見方によっては似たようなものなのかもしれません。
ということは財務省、つまり現代の勘定奉行さまは日本人の生み出す経済価値を最終的に手のひらの上でコロコロする任務を古代より引き継いでおり、世代を超えた蓄財を許さないお目付け役ということになります。
まぁ、勤労日本人は「鵜」で財務省が「鵜飼」という表現も出来ます。時として鵜が紐を切って海外に飛び出すのですが、最近はその海外まで鵜飼さまは追ってきます。「もうあなたのお金はどこにも逃げられない by 財務省」というオカルトタッチの書籍があればベストセラー間違いなしでしょう。
話題の防衛費増額の話でも「国債は発行しません、現役世代でその負担増を吸収してください」というのは財務省目線のキャッシュフローをこれ以上傷ませないという宣言であります。その点で財務省の視線はフローを中心に見るのですが、ストックであるバランスシートについてはよくわかりません。