神戸の沖防波堤のその後
令和4年1月の神戸港を皮切りに、9月の須磨港をもって、行政が指定する神戸の沖防波堤の立入禁止化の実践が完了した。一方で、神戸の沖防波堤の渡船再開を目指すべく、文書形式の署名活動とともに、行政との協議も本格的に開始された。それらの実効性を高めるため、渡船店側は個別店単位ではなく、組合を組成して臨むことを決断し、渡船が再開された場合も組合形式で運営する構想を打ち立てている。その模様の一部は、5月に関西テレビと毎日放送の夕方のニュース番組で放送されたほか、一連の動きの概要は、神戸渡船のホームページ「情報一覧」の、5月から6月にかけての情報内に残されている。
令和4年10月現在、渡船再開の目途は立っておらず、協議の両当事者からの正式な情報発信もないが、協議は継続されているという事実を、私の責任においてこの投稿で読者の皆様にお伝えさせていただく。私達釣り人は、渡船が再開されることを引き続き願いつつ、当事者同士の協議の行方を静観するしかない。
長期化の見通し
なお、協議が長期化する見通しであることと、協議体制と渡船の新たな運営構想が組合形式に移行したことで、各渡船店・船長の個々の事業活動としては、遊漁船業(釣り船)にシフトしている。私が通っていた松村渡船は、8月31日をもって沖堤防渡し渡船事業を廃止した。将来、協議が実を結び沖防波堤への渡船が再開されたとしても、松村渡船で、薩摩の船で再び渡ることは叶わなくなってしまい、やり切れない思いに今なお苛まれている。
釣り場の減少は自業自得
ここまで、沖防波堤の大混雑に伴い、渡船店が矢面に立たされて苦しめられている状況について問題提起をさせていただいたが、減少した沖防波堤のキャパシティに対し、自分だけは釣り場からあぶれないようにという釣り人の欲求がエスカレートして、身勝手な行動に走り、各地で様々な問題を引き起こしているというのが、現在の姿であろう。
しかし、その問題は神戸の沖防波堤の立入禁止化が原因なのだろうか?そもそも、沖防波堤に釣行する釣り人が増加したのは、ポートアイランド北公園、兵庫突堤、小野浜などの陸地からの釣りが出来なくなった事も大きな要因であったはずだ。
かつては釣りをある程度許容されていたそれらの陸地を失ったのも、神戸の沖防波堤を失ったのも、全ては釣り人が近隣や航行船舶などとの間でトラブルを引き起こし、行政に通報や苦情が寄せられるようになったからである。釣り人達はそうした認識もなく、今度は残された沖防波堤とその周辺で、あろうことか渡船店を矢面に立たせて苦しめているという蛮行に及んでいる。
繰り返しになるが、関西の釣り場の減少は釣り人が自分で自分の首を絞めた結果であり、世間や行政にとって釣り人は、悪であり危険行為をするかのような疎まれる存在となってしまったという現実を、釣り人一人一人が認識出来るかどうか、今が瀬戸際ではないだろうか。