急速な成長を遂げる北の産業革命

明治に入り資源開発と北方警備の観点によって急速に開拓が進められた北海道は、かつてない膨大な費用を投じた開拓計画により、西洋の技術なども積極的に導入され、空知の炭鉱開発を推し進めていきました。明治12年に三笠市の幌内炭鉱が開鉱したことで、わずか3年後にはその石炭を運ぶために、小樽-幌内間の鉄道が完成しています。

同時期には、労働力を確保するために2つの監獄が作られ、このあたりから一大国家プロジェクトとして炭鉄港が注目を浴び始めます。明治30年代に、日本初の本格的港湾として北の防波堤の整備が進んだ小樽は、北海道随一の港町として栄え、第1次世界大戦における世界的な農産物の高騰を背景に、北海道産品の輸出港として更なる発展を遂げました。 室蘭の製鉄は、開始当初こそ順調には行きませんでしたが、昭和9年に日本製鉄と合併したことにより大増産体制へと向っていきます。

戦後の急激な衰退

第2次世界大戦後の昭和40年代から衰退の兆しが現れた小樽は、輸入原材料の調達が難しい日本海側だったことで、徐々に太平洋側の苫小牧港へ、その機能を奪われていきます。 一方の空知と室蘭は、戦後復興のため一時的に炭鉱と鉄鋼業が盛り返しますが、昭和30年代後半のエネルギー革命により石炭に代わって石油が急激に普及したことにより、その勢いは失われていき、その後史上最大の産業転換政策である「石炭政策」によって、5万人超の労働者が空知を去っていきます。

小樽同様、苫小牧港に物流機能を奪われた室蘭も次第にその価値がなくなっていき、日本全体が高度成長へと舵を切る一方で、炭鉄港はその役目をひっそりと終えていくのでした。

※画像はイメージです。

提供元・北海道そらマガジン

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