お前もおかしなことを言うな、と思う人もいるでしょう。政権発足前から好きなタイプではないとずっと言い続けた岸田さんをここでかばうのか、という訳です。私は決してかばっているわけではなく、今の岸田政権の崩壊は日本が内外に対して信頼を失うときである、という危機感があるのです。なので、岸田首相には背水の陣で臨んでもらうしかない、と考えているのです。
岸田氏は安倍首相暗殺という歴史に残る事件を経て、想定外の旧統一教会問題に巻き込まれました。「あれがなければ…」という声がある一方、「あれがあったからこそ…」という見方もできるのです。それは旧統一教会と自民党のそこまでどっぷりつかった関係が明らかになり、自民党の体質がいよいよ国民の支持を得られなくなりつつある点です。

岸田首相 SeanPavonePhoto/iStock
概ね理由は解明されています。妖怪、岸信介氏の時代に反共というスタンスで意見の一致をみた統一教会との接点がスタートです。また統一教会創始者、文鮮明氏が日本の政治への影響力を戦略的に狙います。岸信介氏の十日会の流れをくむ清和政策研究会を介して、安倍晋太郎氏に食い込みます。更に安倍晋三氏に引き継がれます。文氏は日本に政治家を送り込む(=信者が政界に入る)ことを目論んでいました。その為、いわゆる反共の時代が終わり、政治的連携の役割を終えたにもかかわらず、長年の親交を通じてギブアンドテイクの関係が脈々と続いたと理解しています。
とすれば歴代首相や重鎮を多く輩出してきた清和政策研究会としてはまさか、次の首相を非常に出しにくいわけです。下手をしたらみそぎが終わらず、派閥の自然消滅すら絶対にないとは言い切れません。政治家の野心が大臣や党の幹部になることであるとすればどうやってそこにたどり着くか、これしか考えていない政治家もいるでしょう。個人的政治の主張より大きいものに巻かれろ、です。例えは悪いですが、甲子園に行きたければ行けるチャンスがある高校を選ぶし、駅伝に出たければ出られる大学を選ぶのと同じです。
言い換えれば自民党はそもそものレゾンデートル(存在意義)を失いつつあるようにも感じます。政治がつまらない、安定第一で挑戦をしない、何も変えられない、保守という名の過去への踏襲が続く、としたら言い過ぎでしょうか?私が再三、自民は割るべきだ、と申し上げているのは政治だけが昭和を未だに引きずるのはおかしいだろうと思うのです。