この事件での現金供与は、
(1)県議会議員・市町議会議員・首長ら44名に対して合計2140万円
(2)後援会のメンバー50名に対して合計385万円
(3)選挙事務所のスタッフに対して合計約377万円
だった。このうち(2)(3)は、自分の支持者、支援者に対して、選挙運動の報酬を支払ったもので、投票を依頼する趣旨はほとんどない。(1)も、本人に投票を依頼することより、その影響力によって、多数の有権者に投票を働きかけてほしいという趣旨だった。だからこそ、その金額が、一人に対して数十万円、中には、100万円を超える金額に上っていた。
つまり、河井氏の多額現金買収も、殆どが「選挙運動の報酬」の支払であり、「票を金で買う行為」と単純化できるような行為ではない。
買収摘発の対象が、かつては、「投票買収」が中心だったのが「運動買収」に変わっていったのには、選挙制度をめぐる歴史的背景がある。
衆議院が中選挙区制であった頃は、選挙における同一政党の候補者同士、とりわけ保守系候補同士の争いが熾烈だった。その中で唯一、定数1の選挙区で、保守系候補同士の争いが展開された奄美群島区などでは、衆院選挙の度に猛烈な「買収合戦」が行われた。有権者に金銭を渡して投票を依頼する行為が、当選を得るために最も効果的なやり方だったのである。
しかし、1990年代に入って選挙制度が変わり、衆議院が小選挙区比例代表並立制になったことで、様相は大きく変わった。有権者の選択が政党中心になると、有権者に直接金銭を渡して投票を依頼しても、効果はあまりない。逆に、警察に通報される危険もある。90年代半ば以降は、「投票買収」の摘発は極端に少なくなっていった。
国政選挙ともなると、都道府県警察には選挙違反取締本部が設けられて摘発が行われる。そこには、一定のノルマがある。そこで、「投票買収」に代わって、買収罪による摘発の対象になったのが、自派の運動員に違法に日当を支払った、という「運動買収」であった。
河井克行氏の事件の例で言えば、選挙事務所で選挙運動に従事する者に対して報酬を支払った(3)が、「運動買収」だ。河井夫妻の一連の事件の摘発の契機となった、河井案里氏の秘書が逮捕された事件も、車上運動員(ウグイス嬢)への法定の限度を超えた報酬の支払だった。
公選法上認められた選挙運動者への報酬支払以外は、選挙運動は、ボランティアで行わなければならず、報酬を支払ってはいけないというのが「ボランティア選挙の原則」だ。実際の選挙では、選挙運動に機械的労務も含めて、相当な労力がかかり、それを行うボランティアを確保することは容易ではないというのが実情だ。
そこで、選挙運動員に対しても、なにがしかの報酬支払が行われるのが、むしろ通例だった。それが、買収摘発の対象にされてきたのが1990年代後半からだった。そのため、支援者や事務所関係者等に「選挙運動の報酬」を支払えば買収で摘発されるリスクが大きいということになる。
しかし、「ボランティア選挙の原則」どおりに、全くの無報酬で選挙運動を手伝ってくれる人を確保することは容易ではない。そこで、実際の選挙では、ある程度、違法を承知で「運動員買収」を行うことにならざるを得ないが、そこで、合法に、或いは、合法と主張することが可能な方法で選挙運動者を確保できるのであれば、それは候補者側にとって貴重であった。
そこで、「合法そのもの」の方法となるのが、宗教団体の信者による選挙活動だ。宗教団体が特定の政党や候補者を推薦支援し、信者が選挙運動を行う場合は、選挙運動は、宗教活動そのものということになるので、信者の信仰が厚ければ、報酬などなくても、まさに寝食を忘れて選挙運動に取り組む。候補者にとってこれだけ有難い存在はない。まさに「合法なボランティア選挙運動」そのものだ。
安倍元首相銃撃事件の犯行動機に関連して、国政選挙での応援など旧統一教会と自民党議員との関係が問題となった。これに関して、「旧統一教会の信者数は全国で8万人程度であり、国政選挙で大きな力にはならない」という見方があったが、それは、信者数を「票」として数えた場合である。信者の選挙運動への貢献度は、他の選挙運動者とは比較にならないものであったと考えられる。