球場内展示の様子筆者撮影

前回までの記事で、「長嶋茂雄記念岩名球場」の予算について、佐倉市議会の主要会派であるさくら会が、委員会では「賛成」しておきながら、そのわずか5日後の採決時に「0円」にしてしまった経過を確認しました。

(前回:長嶋茂雄記念岩名球場予算を「0円」としたさくら会 ③)

この結果、「長嶋氏の名前を冠した球場を相応のものとすべく」内定していた国家予算7億円を、佐倉市議会が反故にしてしまった点もみてきました。

この写真は、さくら会の「0円動議」が可決した際の佐倉市議会だよりに掲載された議員たちの集合写真です。議員名紹介の下に小さな文字で「市民の代表として、市民からの要望や意見を市政に反映させる市議会議員」とありますが、この紹介文は私には実に皮肉に響きます。

さて、さくら会の賛否がひっくり返った委員会から最終日までの5日間に、いったい何が発生したのでしょうか?

権力が固定された「地方議会の闇」

それは、「裏の話」ですから、当時議員ですらなかった私の耳には入ってきません。

本件が発生したのは、当時の市長である蕨氏とさくら会が完全に反目しており、市長の実績となるような事業にはさくら会がことごとく反対していた時期でした。かつてアゴラでも紹介した「草ぶえの丘の指定管理者選定業者の不可解な連続否決」のうち1回目の議決も2016年ですから、この事案の1年後です。

前編:草ぶえの丘等指定管理者の「否決」からひも解く「佐倉市議会という病」

結果からみれば、賛否がひっくりかえった5日間で、さくら会と執行部との間で「何か」があった、としか考えられません。

例えば、この件に賛成することでさくら会が執行部に見返りを要求したが拒否された、などというような背景がない限り、私としては理解できないのです。

しかし、今となってはすべてが憶測であり、事実が明るみに出ることはないでしょう。