こんにちは! たびこふれ編集部のシンジーノです。
あの缶コーヒーのCMで一躍有名になった兵庫県朝来(あさご)市の「竹田城跡」。
日本百名城のひとつに数えられ「天空の城」や「日本のマチュピチュ」などと呼ばれ、多くの観光客が訪れています。
竹田城跡は、戦国時代に築かれた石垣がほぼ当時のまま残されており、それが一番の歴史的価値といえるでしょう。
しかし、この城の魅力はそれだけでなく、時代の波に翻弄された歴史ストーリー、山頂から見渡す風景の美しさ、晩秋朝に発生する雲海の幻想的な世界など、まさにシャッターを切る手が止まらないほど魅力に溢れた場所です。
今回は、竹田城跡と朝霧の雲海の幻想的な世界、風情のある宿場町、寺町の散策の楽しさなど、竹田の魅力を存分にお伝えしたいと思います。
あまりの美しさに写真を400枚以上撮りました。その中から選りすぐりをたっぷりご覧に入れます。どうぞWEB旅をお楽しみください。
竹田城の歴史
竹田城は、虎が臥せているように見えることから、別名虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)とも呼ばれています。
標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に、南北約400m、東西約100mにわたる広大な敷地に築かれました。1600年の廃城から既に400年以上経っていますが、天守閣はないものの、石垣がほぼ当時の状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模を誇っています。
竹田城の築城に関しては不明な点が多いですが、1443年頃、山名宗全(持豊)が築いたと伝わります。
この地域は、但馬、播磨、丹波諸国がせめぎあい、城が多数築かれた地域で、かなりの緊張状態にあったようです。初代城主は山名四天王のひとりである太田垣光景が務め、太田垣氏が7代約130年に亘り、この地を治めたと伝わります。
その後、1578年頃、秀吉が毛利攻めの拠点としてこの城を攻め落とします。一説には、近隣にある生野銀山が狙いだったとも言われています。当時は土塁の城で、秀吉は攻め落とした後、簡単に落城しないように、頑強な石垣を築きました。(その時築かれた石垣の多くが今も当時のままで残っています)そして秀吉の弟である羽柴秀長、赤松氏が統治したと伝わります。その後、赤松氏は関ケ原で西軍について敗れたため、竹田城は1600年、赤松広秀を最後の城主として閉城という運命をたどります。
JR竹田駅裏の寺町通りは昔、武家屋敷があったと伝えられ、歴代竹田城主の菩提寺が4寺並んで建っています。

閉城後、竹田の町は、姫路から生野を経由して和田山に至る但馬街道の宿場町として発展し、大正時代は旅館や料理屋が軒を連ねて、たいそう賑わったようです。今も当時の宿場町の面影を見ることができます。

山頂から見える風景
それでは、お待たせしました。竹田城跡のある虎臥(古城)山の山頂の様子をたっぷりご覧ください。まずは日中の姿から。

山頂は想像していたよりかなり広いです。お城跡というと、天守閣や石垣の周りにちょっとした公園のような敷地があるのが一般的だと思いますが、竹田城は100m×400mの広さです。歩くとたっぷり30~45分くらいかかります。

このベンチ、映画「あなたへ」であの高倉健さんが座ったんだそうです。

山頂から竹田の町が一望できます。宿場町として開けたのがわかります。虎臥山は353.7mで決して高い山ではないですが、見える景色がちょうどよい高さなんです。ずっと見ていても飽きない風景です。

北千畳、三の丸、二の丸、天守台、本丸、南千畳、と石垣にそって遊歩道が整備されていて、歩きやすいです。

「これが戦国時代に築かれた石垣か~」と思うと感慨もひとしおです。


空には秋のうろこ雲がふんわりと浮かんでいました。石垣とのコントラストが絵になります。
では次に、日中とはまた違った竹田城跡の美しい風景をご覧に入れましょう。