目次
3. 建仁寺の本坊は絵画や庭園など見どころが満載!
4. 建仁寺の行事「四頭茶会」
3. 建仁寺の本坊は絵画や庭園など見どころが満載!

では、早速お寺のなかに入ってみましょう。まずは敷地の北側にある本坊から参拝していきます。
3.1 本坊(庫裏)

本坊というのは寺院において中心的な建物です。まず、ここで拝観料を払います。

そこにあるこの看板には「CAMERA OK」とあります。思わず二度見してしまいそうになりますが、なんと、建仁寺は驚くべきことにすべての場所で写真撮影が可能なのです。
ですから、建仁寺に行く前にはスマホやカメラのデータの空き容量はちゃんとチェックしておいてくださいね。

受付を入ってすぐのところにあるのはビデオルーム。ここで建仁寺の歴史が映像を見ながら学べます。

そのすぐ横にはあの有名な「風神雷神図屏風」があります。でも、これは複製です。複製といっても本物にしか見えません。しかもこれは陶器なのです。
陶器であることの利点は釉薬を塗ってあるので立体的に感じられること、また劣化しにくいことと汚れても汚れを取ることが比較的容易であることなのだそうです。
では、本物はどこにあるかというと京都国立博物館に厳重に保管されていて、見ることはできません。
3.2 方丈(雲龍図・襖絵)

本坊の隣には方丈という建物があります。方丈というのは住職のお住まいのこと。建物自体500年くらい前のもので相当歴史ある建物です。しかも1599年に広島にあった建物を移築したものです。
というのも戦国時代、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)という和尚が自身の出身地である安芸国(現在の広島県)の安国寺から移築したのだとか。
安国寺恵瓊という人物は戦国時代の大河ドラマなどにもよく出てくる人物で、毛利氏の外交僧であり、秀吉にもその力を認められていたとも言われています。
そんな安国寺恵瓊は京都にある東福寺の和尚でもありました。建仁寺と東福寺はとても近い関係だったので、安国寺恵瓊は火事に見まわれたり、戦災に巻き込まれていた建仁寺の建て直しに尽力していたのだそうです。

さて、その移築当初に描かれたのが、海北友松(かいほうゆうしょう)による襖絵の雲龍図です。今にも襖から飛び出してきそうな躍動感があります。
また、こちらを睨んでいるかのような表情というか目力は、見ているこちらも一瞬息が止まりそうになってしまいます。墨の濃淡で美しく描かれた流線型の雲も見どころなのだそうです。
作者の海北友松は近江国(現在の滋賀県)長浜の出身で浅井長政の家臣の家の子であったとも言われています。兄がいて家が継げなかったので、東福寺に預けられたという過去があります。建仁寺には海北友松の作品が50面あるのだそうで、別名「友松寺」とも呼ばれているとか。

そして、こちらも複製です。本物は襖から外して巻物にして京都国立博物館にあるそうです。
3.3 大雄苑

こちらは枯山水の庭、大雄苑(だいおうえん)です。
枯山水というのは水を使わないで、石や砂などにより風景を表現する庭園様式です。ですから、この庭園には水はありませんが、水が表現されています。
でも、ぼんやり見るだけではおもしろくないので、今日はその楽しみ方をご紹介します。それは水の流れを読み解きながら見るという楽しみ方です。

まず、一番背の高い石を探します。主石(しゅせき)といいます。主石は水の始まりの地点になります。そこに雨が降り水が流れてきます。その流れが川になり、海になります。
「この庭は海だ」と想像するのもいいでしょう。でも「いや、主石が山なのだとしたら、海はそんなに近くにはない。これは雲海だ」と想像してみてもよいかもしれません。
想像力は人それぞれ、いろいろな想像をして楽しんでみてください。

そんな楽しみ方ができる枯山水が教えているところは、一つのものもいろいろな見方ができるということです。
そういう見方を知ることで、心を豊かにすることができます。心を豊かにすることで悩むか悩まないか自分で判断できるようになるということです。

そして、枯山水の庭の奥に塔が見えます。実はこの塔は織田信長の供養塔です。織田信長の弟である織田有楽斎によって建立されました。徳川の時代は密かに隠されていて、大政奉還のあとで現在の場所に戻されたのだそうです。

方丈をぐるりと回りながら海北友松の襖絵(複製)をじっくりと楽しむことができます。

また、方丈から見える小さいお堂の横に静かに立っている名もなき小さなお墓は、実は安国寺恵瓊の首塚です。
時は1600年。東軍徳川家康と西軍石田三成に分かれた戦った天下分目の関ヶ原の戦いが起こります。結果はご存知の通り、東軍の大勝利でした。
安国寺恵瓊は建仁寺を復興してくれた恩人ですが、西軍の大将でもあった毛利輝元の側近でもあったので、東軍に捕まえられて打ち首となってしまいました。そして、首は六条河原に晒されました。それを聞いた当時の建仁寺の和尚が駆けつけ、「安国寺恵瓊は建仁寺の恩人です。供養して差し上げたいので、首をお返しください」と東軍の侍に嘆願しに行ったのだそうです。
すると、東軍の侍に「だめだ。でも、今からこの鴨川に流すからあとは好きにするがよい」と言われたので、川下で建仁寺の和尚が待っていると、安国寺恵瓊の首が流れてきたのだそうです。
そして安国寺恵瓊の首を大事に持ち帰り供養したのですが、徳川の時代に安国寺恵瓊の大きな首塚を造るわけにもいかず、墓標を刻むこともなくひっそりとお堂の横に建てたということです。安国寺恵瓊は今もここから現代の私たちを見つめているのかもしれません。
3.4 東陽坊(茶席)

大雄苑から庭におりて、苔むす小径を少し歩いて方丈の北側にまわると、茶室「東陽坊」があります。まるで桃山時代にタイムスリップしたかのように、周りの自然に調和していて歴史的で落ち着いた佇まいの茶室です。
それもそのはず、この茶室は豊臣秀吉の北野の大茶会で副席として建てられたものなんだとか。元は時代によって様々な茶人の元を転々と移築しながら、大正10年に建仁寺に来たそうです。

建物は当時のまま。中に入ることはできませんが、中を見ることはできます。こちらの茶室はサントリー伊右衛門茶のCMに使われたとか。

この石は烏帽子岩と呼ばれています。この上で豊臣秀吉が座禅したとかしないとか。

この茶室の鬼瓦には禅語が刻まれています。一方は「和敬」もう一方は「静寂」合わせて「和敬静寂」意味は、静かな心で敬いを忘れずにいましょうという意味です。
ぜひこの茶室もカメラにおさめてください。
3.5 法堂(双龍図)

法堂(はっとう)は1765年に建てられたもの。「拈華堂(ねんげどう)」とも呼ばれています。

正面には本尊釈迦如来座像が祀られています。
お参りしたあとは、天井を見上げてください。圧巻の双龍図が目に入ってくるでしょう。こちらは2002年に開創800年の記念として、鎌倉の日本画家である小泉淳作氏が2年の歳月をかけて、108畳の大きさに描いた渾身の双龍図です。

お寺の法堂の天井に龍が描かれているのは建仁寺だけではありません。なぜ法堂に龍が描かれているかというと、法堂はお釈迦様が説法をする場所です。
そして、龍は水を司る伝説の生き物。お釈迦様の説法とともに、龍が法の雨(釈迦の教え)を降らせるとも言われています。
この龍の特徴はすべて描かれているというところです。尻尾もちゃんと描かれていて辿っていけば、頭にたどり着きます。これは雲龍図としてはめずらしいのだそうです。
また、仏教が日本に入ってきたときの古い文献によると龍はこうやって描くという方法が書かれていたのだそうです。龍を見ながら想像してみるとおもしろいですよ。
「頭がらくだ、角が鹿、耳が牛、目が鬼(実はうさぎのこと)、頸(うなじ)が蛇、鱗が鯉、お腹が蜃(しん ※蜃というのは想像上の貝のことです)、爪が鷹、手が虎」

どうでしょうか?似ているでしょうか?
また龍が手に持っているボールは何だと思いますか?ドラゴンボール(笑)?
いいえ、「宝珠」(ほうじゅ)というものです。お釈迦様のお悟りに見立てていると言われています。悟りというのは我々の心の深層心理にあるということから、海の底に眠る真珠にも似ています。それをこの龍は大事に守っているということです。
龍を見るときにもう一つ注目するポイントがあります。それは手の指の数です。この龍は指が5本あります。これは「五爪の龍」(ごそうのりゅう)と呼ばれていて、中国の皇帝が認めた一流の龍であるそうです。
仏教由来の龍は中国では紀元前2000年くらいから存在していて由緒あるもの。「五爪の龍」以外の中国の龍は4本指で、日本で描かれた龍は3本指なのだそうです。
ぜひ建仁寺に行って実物を見てみてください。
3.6 〇△ロ乃庭

こちらは「〇△ロ乃庭(まるさんかくしかくのにわ)」です。真ん中にある木は椿の木で毎年12月に花を咲かせるのだとか。

それはさておき、なぜ「○△□乃庭(まるさんかくしかくのにわ)」というのかその理由が気になりますよね。
こういういわれがあるそうです。江戸時代に仙厓義梵(せんがいぎぼん)という和尚がいて、「この世の全ては○△□で表せる」と言いました。
この世のすべてとは仏教の思想では地・水・火・風・空なのです。そして地は□で揺るぎない大地です。水は○で波紋です。火が△をあらわしています。
ただし、庭では手前の台形のような形です。空は目には見えないけれど、漂っているすべてです。そして、それが動いたら風になります。
人間も同じで地が足、水がお腹、火が命、風は息、空はそれらすべてをつなぐものです。だから、この世のすべては○△□で表せるのです。
そう思えば、この庭の深さに気付かされます。
3.7 小書院

こちらは小書院です。襖絵は現代の襖絵。シルクスクリーンの技法によって描かれたものです。染織作家の鳥羽美花氏によるもので、ベトナムの水辺の風景を描いたものだそうです。

こちらは「舟出」という作品です。

襖に垂直に座ってみると水が迫ってくるように感じます。

襖の取っ手が小舟の櫂の形になっています。かわいいですね。
3.8 潮音庭

本坊の中庭にあるのが「潮音庭」です。この庭は360°どの角度からも見ることができる庭です。

ということは、どこから見ても美しく作らなければならないということです。それはとても難しいことですが、作者はまず、正面をふたつ背中合わせで作り、ふたつの正面から見てきれいに見えるように作ったのだそうです。
そして「ちょっとずれたらどうなるか?」「ちょっとずれたらきれいかな?」と考えながら作っていくと、最終的に円の形になったのだそうです。
そして、石は、上から見ると渦のような形で配置することになったのです。だから名前が「潮音庭(ちょうおんてい)」なのだそうです。
このお庭はお庭だけでは完成とは言えません。見る人あって完成するのだそうです。360°どこからでも見られるということは、見る人が正面を決められます。「ここから見るのが一番好きだ」という場所があるはずです。
でも、それはその時の一番で季節も巡るし、自分の心のありようも変わります。だから、その時に見ている庭の風景はその時だけのものなのです。
一瞬一瞬の大切さをかみしめつつ、一番好きな庭の方向を探してみてはいかがでしょうか。
3.9 唐子の間

こちらの間は、かわいい子どもたちが無邪気に遊んでいる襖絵「唐子遊戯図」が描かれている部屋です。唐子というのは中国風の髪型や服装をした子どもという意味です。
そういえば、中華料理の食器に描かれている絵に似ていますね。作者は田村月樵(たむらげっしょう)という幕末から明治にかけて活躍した日本画家です。塔頭の両足院にお墓があるのだそうです。

見どころは床の間です。床の間に絵が描かれているのですが、それがとてもめずらしいです。しかも、船の上で寝転がっている子どもの視線の先には月が浮かんでいるという粋な計らいも。

庭には田村月樵が使っていた硯もあります。田村月樵は「井の中の蛙」という言葉を自分への戒めとしていて、蛙のモチーフの物をよく使っていたと伝わっています。
3.10 大書院(風神雷神図)

大書院にある風神雷神図です。こちらも複製ですが、こちらは原寸大です。実はこの複製が完成した際に本物と並べてみたことがあるのだそうですが、ブロがみたところ、3メートル離れたら、どちらが本物がわからないくらいなのだとか。じっくりと鑑賞してみてくださいね。
3.11 開山堂

開山である栄西禅師の墓所です。栄西禅師が自らお植えになった菩提樹が今もなおその葉を茂らせています。
3.12 霊洞院

現在、建仁寺派の修行道場になっていて拝観はできません。でも、国の名勝庭園にも指定された美しい庭があるのだそうです。
3.13 浴室

1628年に建てられた浴室。禅宗では、入浴も大事な修行のひとつとされています。内部は、待合、浴室、土間に分かれていているそうです。湯に浸かるタイプではなく湯気で体を温める蒸し風呂だそう。入浴の作法も厳しく決められているのだとか。
3.14 明星殿(楽神廟・楽大明神)

開山である栄西禅師の母親が岡山県吉備津神社の末社である楽の社をお参りした晩、夢に明るい星が出てきて、禅師を身籠ったと言い伝えられていることから、このお社が建てられました。明星殿とも言われています。

絵馬は風神さまです。風神さまに願いをかけてみてはどうでしょうか。
3.15 勅使門

こちらは勅使門です。勅使門というのは朝廷からの使者を迎える門で、こちらの勅使門の柱や扉には戦乱のときの矢のあとがあることから「矢の根門」「矢立門」とも呼ばれています。
3.16 三門(望闕楼)

存在感と重厚感のある三門。建仁寺の三門はサントリーの伊右衛門茶のCMにも使われたことがあるとか。大正12年に静岡県の安寧寺から移築されたものです。

「望闕楼(ぼうけつろう)」とも呼ばれています。望闕楼というのは「御所を望む楼閣」という意味だそうです。確かに上に登ったら、御所まで見えそうですね。
3.17 禅居庵

禅居庵では摩利支天が祀られています。摩利支天とは仏法を守る神様だそうです。摩利支天は七匹のいのししの上に座っていらっしゃることから、亥年生まれの守り神とも言われています。
境内にはたくさんの狛亥(こまいのししい)が。亥のお守りやおみくじもありますのでぜひ行ってみてください。
参拝時間は午前9時から午後5時までで年中無休です。
3.18 大中院

塔頭寺院の一つである大中院。建仁寺の北西にあり、花見小路がすぐそこ。中には「燕舞軒(えんぶけん)という茶室があります。
3.19 西来院

塔頭寺院の一つである西来院。鎌倉時代の禅僧、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が開きました。通常は非公開ですが、枯山水の美しい庭園があるとのことです。
3.20 両足院

座禅体験や写経体験ができる塔頭、両足院。体験はできますが、文化財や庭園は通常非公開です。半夏生の咲く初夏と冬に特別拝観がありますので、HPで情報をを確認してください。
4. 建仁寺の行事「四頭茶会」
栄西禅師の誕生日である4月20日に行われるお茶会です。お茶会といってもただのお茶会ではなく、なんと京都市登録無形民俗文化財なのです。
その起源は中国の南宋・元の時代にあるといい、栄西禅師が持ち帰ったのだとか。もともとは特別な人に対するお茶会でした。
例年、参加は電話での予約制ですが、2021年はコロナウイルス感染拡大の影響で中止となりました。感染が落ち着いたらぜひ参加してみたいですね。