昔は柔道で飯を食っていた

給料でいえば、
柔道で飯が食えるのならば、これほど良い話はない。

全ての柔道好きがみんな柔道で飯が食える訳ではないけれど、
それで生活をするのが当たり前だった僕からすると、こんなにも簡単な話はない。

しかし、これが難しい。
巡り合わせもある。
運もある。

でも、一番は勝てば良いだけの話。
勝てば良いだけの練習をすれば済む話。

僕の技術は細かすぎるのかもしれない

【連載「生きる理由」90】柔道金メダリスト・内柴正人氏  「働きながら柔道を教えて思うこと」①
(画像=2022年夏、新たに内柴氏のもとへ練習に訪れた選手たち(写真:本人提供)、『mimiyori』より 引用)

柔道教室。
今年に入って柔道教室をすることが増えた。

教えていて思うこと。
僕の技術は細か過ぎる。
伝えるのは簡単だけど真似したところで打ち込みでは出来る。

その場では出来るのだけど、実戦で使えるかと言うと使えないのだ。

ふと、我に返る。
それはそうだ。

僕の持つ技術は、いわゆる柔道界では厳しいといわれる国士舘で磨いて来たもので、
厳しさに追い込まれている がむしゃらな学生相手に技を掛け続けて身につけた技術。

国内で当たり前に勝ち、国際大会で当たり前に勝てるために何年もすり込んだ技なのだ。

すり込んだ年数が違う。

「斉藤仁の技術は斉藤仁にしか出来ない」

(内柴正人=この項つづく)

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。

より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。

詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

提供元・mimiyori

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