みなさんは疫病から市民を守るために命を賭した警察官の話をご存知でしょうか?
その警察官の名は、増田敬太郎。
彼はその功績が認められ、世界で唯一殉職した警察官で御神体として祀られている人物です。今回は、その伝説となった増田敬太郎巡査についてご紹介します。
増田神社とは?
増田神社は日本で唯一警察官を祀っている神社であり、増田敬太郎巡査の伝説を忘れないようにと建てられました。
まずはその増田神社についてご紹介します。
場所
増田神社があるのは佐賀県高串地区です。現在の佐賀県唐津市肥前町にある神社で、例大祭の時期になると毎年多くの方が訪れています。
ただ、主要な交通機関があまり通っていないこともあり、例大祭は地元民が多く参加するものとなっています。
他の地域から訪れる場合は車が必須なので、その点だけは注意が必要です。
どんな神社?
増田神社は日本で唯一警察官を祀った神社です。
御神体は増田敬太郎巡査の木像となっており、かつて日本で猛威を振るった感染症「コレラ」から村を救った増田敬太郎という人のために建てられた神社です。
日本には八百万の神々がいると言われているものの、増田神社は日本でたった1つだけ、殉職した警察官を神として崇めています。
コレラを終息させ神になった増田敬太郎巡査

増田神社を建てるきっかけとなった増田敬太郎はどのような人物だったのでしょうか?彼が神として崇められるようになった偉業についてご紹介します。
優秀な人物だった
増田敬太郎は裕福な家庭に生まれ、厳しい教育の下で育てられました。
その教育もあり、裕福な家庭ながらも着飾ることはなく、常に誰に対しても礼儀作法をしっかりと重んじる人物だったといわれています。
また、彼は漢籍や数学などの一般教養に秀でていただけではなく、体格にも恵まれており、性格はおおらかだったと言い伝えられています。
そんな彼は優秀な警察官になるため努力を重ね、佐賀県の巡査教習所に入所した新人警察官が3ヶ月かかって教習課程を習得するところを、なんと10日で卒業したそうです。
その有能さが見込まれ、明治28年には佐賀県巡査を拝命して唐津警察署へ配属されました。
伝説となった偉業
配属が決まった明治28年、彼はコレラが蔓延した佐賀県高串地区(現在の唐津市)に赴任することになりました。
当時、感染を恐れて村人たちが誰も寄りつかない中、彼は3日間不眠不休で患者の看病を行ったそうです。
当時の医療ではコレラの対応が行き届かず、現場はまるで地獄のようだったことは間違いありません。
しかし、それにも関わらず彼はたった1人で遺体を担ぎ出し、埋葬も1人で行ったそうです。
そんな中、彼の身体にも徐々に異変が現れます。それはコレラの対応を行っていた4日目のこと、なんと彼自身もコレラに感染して倒れてしまったのです。
さらに過労も重なり、残念ながら彼はそのまま命を落としてしまいました。・・・実に25年という短い人生でした。
ただ、彼は最期まで警察官としての仕事を全うしました。最期に残した彼の言葉は、今でも現地の人々の間で伝説として語り継がれています。
「コレラは私が背負って逝く」
彼はそう言って逝去しました。彼の言葉通り、死後コレラは終息し、高串地区でコレラは発生しなかったのだそうです。
感染者や遺体の搬送、埋葬を増田巡査が一人で行ったおかげで感染源を根絶し、本当に高串地区のコレラを全て背負って逝かれたのでした。
最後まで市民の命を守る立派な警察官だった増田敬太郎巡査は、まさに警察官の鑑です。
事実、彼の偉業によって高串地区に蔓延していたコレラは無事に終息し、村人たちは彼を「警神」として崇めるようになったといわれています。