2022年夏、筆者が住むシエナのピアッツァ・デル・カンポ(カンポ広場)では、多様なイベントが企画された。7月にはフィレンツェ五月音楽祭管弦楽団の演奏会が企画され、7月・8月には市民待望の伝統競馬「パリオ」が2019年以来3年ぶりに行われた。その間にも、スクーター「ベスパ」のクラブミーティングなど、小さな催しを毎週のように見ることができた。イタリアにおけるピアッツァ(広場)が果たす大きな役割を再認識した筆者であった。
“なんちゃって”も出没
振り返れば今夏、一連のイベントの“のろし”となったのは、6月のヒストリックカー・ラリー「ミッレミリア」だった。
ミッレミリアは、北部ブレシアから半島を南下してローマに至り、別ルートで再びブレシアに戻るのに3日間のプログラムがとられてきた。シエナは参加車が朝、ローマから北上する第3日目・土曜日に通過するのが慣例だった。しかし近年は会期が4日間に延長されるなど改変がたびたび行われ、2022年のシエナ通過は金曜日となった。
いっぽう変わりないことといえば、わが家の前が参加車のルートであることだ。6月17日の昼前、勇ましいエグゾーストノートが聞こえ始めたので外に出ると、早くも地元自動車クラブのボランティアによる誘導にしたがって、次々と参加車がコーナーを曲がってゆくのが見えた。筆者は、彼らを追うように旧市街へと歩いて行った。
走行音が背後から聞こえてくるたび、振り返ってはカメラに収める。そうしたなか毎年出没して筆者を惑わせるものといえば、“なんちゃってミッレミリア”たちである。参加者でないのに古いモデルで一緒にコースを辿るドライバーたちに筆者が命名したものだ。「アルファ・ロメオ・スパイダー・デュエット」などと並び、「ポルシェ914」も彼らに使われる格好の1台である。何も知らない沿道の市民から手を振られるものだから、彼らはさらに調子に乗ってしまう。
最も華やかな舞台で
シエナのカンポ広場は、ミッレミリアの公式ウェブサイトでも毎年のように写真で紹介されてきたことでわかるように、ルート中で最もフォトジェニックなポイントのひとつである。長年計時ポイントで車両は一旦停止するだけだったのに対して、近年は参加者たちの昼食ポイントとなっている。そのため、色とりどりのモデルが——オイル漏れを受け止めるという、真面目な理由もあるのだが——えんえんと敷かれたカーペット上に並ぶ壮観な風景を鑑賞できるようになった。
2022年の参加車リストに並んだ車両の数は、440台(軍・警察によるゲスト参加車を除く)だった。今回も1977年に現在のラリー形式で開始されて以来の規則にしたがって選ばれた車両たちだ。規則とは、スピードレース形式だった1927〜1957年のミッレミリアに参戦した車両、または同型車というものである
当日の最高気温は33℃。「メルセデス・ベンツ300SLガルウィング」のドライバーたちの大半は、広場前の渋滞で低速になると、まさにカモメの翼のごとく扉を開けて車内に溜まった熱を追い出していた。実は300SL(ロードスター含め17台)以上に目立ったモデルがあった。「ポルシェ356」で、その数は25台に及んだ。ちなみに残念だったはオーガナイザーの粋な気配りがなかったことで、今回のカーナンバー356は、1955年「アストン・マーティンDB2/4」に割り当てられてしまっていた。