Hondaの”これから”がわかるメディア「Honda Stories」で、国内最高峰のレースの一つ「SUPER FORMULA」でスタートしたプロジェクト「SUPER FORMULA NEXT50」の対談が公開された。後半となる今回は「レースにカーボンニュートラルは必要か?」をテーマに、持続可能なレースを実現するために必要となるカーボンニュートラル実現に向けた次世代マシン開発について、Honda、TOYOTAそれぞれのドライバーとエンジニア、またファンや運営会社の社長にまでインタビューをおこなっている。
目次
ライバルと挑むカーボンニュートラル ~レースに関わるいろいろな人の声を集めてみた。~
ケース#01:ドライバー 「次代のイメージリーダーにならなければ」
ライバルと挑むカーボンニュートラル ~レースに関わるいろいろな人の声を集めてみた。~
HondaとTOYOTAのメディアコラボが実現! 国内最高峰のレースの一つ「SUPER FORMULA」でスタートしたプロジェクト「SUPER FORMULA NEXT50(ネクスト ゴー。以下、SF NEXT50)」。その取り組みを「HondaStories」と「トヨタイムズ」が同時取材し、別の視点で紹介する。HondaStoriesでは、前編でカーボンニュートラルに向けた取り組みを、後編で関係者インタビューをお届け。トヨタイムズでは豊田章男社長の一言に端を発した改革のスタートと現在地を伝える。
後編となる今回は、持続可能なレースを実現するために必要となるカーボンニュートラル実現に向けた次世代マシン開発について、Honda、TOYOTAそれぞれのドライバーとエンジニア、さらにファンや運営会社の社長まで、いろいろな人の声を集めてみた。レースの中と外から「SF NEXT50」はどう見えているのだろうか?
ケース#01:ドライバー 「次代のイメージリーダーにならなければ」
塚越広大(左):1986年生まれ。2004年に鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)を主席で卒業。05年のフォーミュラ・ドリームでは全勝優勝でチャンピオンに輝く。マカオGP、ユーロF3など海外での活躍を経て、09年からはSUPER GT、フォーミュラ・ニッポン(現、SUPER FORMULA)に参戦。SF NEXT50では開発ドライバーを務めテストカー「白寅」に乗る。
石浦宏明(右):1981年生まれ。2003年からのフォーミュラトヨタ以降、08年にフォーミュラ・ニッポン(現、SUPER FORMULA)などに参戦。15年、17年にタイトルを獲得し、20年にSUPER FORMULAを引退。SF NEXT50では開発ドライバーを務めテストカー「赤寅」に乗る。
Q.レースの脱炭素化。どう考えている?
塚越選手:レースを含め、長らく続いたクルマ文化が今急激に変化しています。その中で、ドライバーとして脱炭素化に向けて取り組むことは、日ごろお世話になっているクルマ業界への恩返しになる。僕らが率先して動かなければと考えながら、さまざまなテスト走行を行っています。
石浦選手:新しいことへのチャレンジ。誰もしていないことを始めるときの一歩目は本当に難しいですが、うまくいけば大きな流れを作ることができます。こうした動きが世界中に広がれば、将来、一般のモビリティにもつながっていく可能性がある。新しい時代の幕開けに関われることにワクワクしています。
Q.ライバルであるHondaとTOYOTAの共同開発はどんな印象?
塚越選手:そもそもTOYOTAのメンバーと膝を突き合わせて話すことなんてなかったので、ものすごく新鮮。勝負するのは、レースを続けていくための開発を経た後、最後の最後でいいんです。HondaとTOYOTAは、大きなところでモータースポーツの仲間です。
石浦選手:僕はエンジン(内燃機関)と、その音の迫力が子どもの頃から大好き。開発しているカーボンニュートラル燃料などは、僕の大好きなエンジンを残すための一つの選択肢。そのための共同開発なら大歓迎です。
Q.今後、ドライバーとして目指す姿は?
塚越選手:“速さ以外の開発”に携わったのは今回が初めて。レース人生を送っていく中で、自分が役に立てることが増えたし、自分が未来のために役立てることは素直にうれしい。カーボンニュートラルのためにモータースポーツが一役買っていることが広く知れ渡れば、ドライバーもエンジニアも、「これは自分たちが造ったマシンなんだよ」って子どもたちに向けて胸を張って言える。そうなれば、レースは持続可能なものになりますよね。
石浦選手:最近、小学校でカーボンニュートラルをテーマにした授業を行ったんです。想像以上に子どもたちが良い反応をしてくれて、「自分にこんな役目があるんだ」と学ばせてもらいました。少しでも誰かに影響を与えられるのなら、それがいつか世界中に広がるかもしれない。僕が子どもの頃に憧れたレーサーたちのように、自分たちも環境問題に対するイメージリーダーにならなければいけないと思っています。