ネパールの少数民族の母語である「クスンダ語(Kusunda)」には、イエスとノー、右と左を区別するような言葉がありません。

世界中のほとんどの言語に見られる特徴がないことから、言語学者はクスンダ語に強い関心を寄せています。

しかし現在、クスンダ語はほぼ絶滅状態に瀕しており、流暢にしゃべれる話者もわずかに1人しか残っていないのです。

なぜクスンダ語の話者は消えてしまったのか、どんな歴史的背景があるのか、そして、クスンダ語の未来を守ることはできるのか。

その不思議な言語的特徴も含めて、以下で見ていきます。

目次
なぜクスンダ語の話者は消えてしまったのか?
「ノー」が存在しない言語

なぜクスンダ語の話者は消えてしまったのか?

クスンダ語は、ネパールの少数民族であるクスンダ族によって使用されてきた言語です。

クスンダ族は、20世紀半ばまで、ネパール西部の密林地帯を拠点とし、動物を狩っては近くの町まで降りていき、米やヤムイモ、小麦粉などと交換する半遊牧の生活を送っていました。

彼らは、クスンダという呼び名の他に、自分たちのことを「バンラジャ(Ban Rajas、”森の王”)」と称していました。

しかし、近代化にともなってネパールの人口が増加し、農業によって密林が分断され始めたことで、クスンダ族への圧力が強くなっていきます。

そして1950年代に、ネパール政府が森林を国有化したことで、クスンダ族は今までの遊牧生活ができなくなったのです。

彼らは村への定住を余儀なくされ、労働や農業に従事するようになりました。

その中で、クスンダの若者たちは近隣の他民族と結婚したり、故郷を離れるようになったことで、母語であるクスンダ語の話者が急激にいなくなったのです。

「ノー」が存在しない!ネパールの少数民族が使う「クスンダ語」とは
(画像=最後の話者であるカマラ・カトリさん(左)、2020年に亡くなったクスンダ族のギアに・マイヤさん(右) / Credit: The Kusunda 1969-2019: 50 years on(youtube, 2019)、『ナゾロジー』より引用)

クスンダ族にとって母語を失うことは、アイデンティティを失うことにも繋がります。

国勢調査によると、2011年時点でクスンダ族と確認できた人は、すでに273人しか残っていなかったのです。

さらに、その中でクスンダ語を話せる人はほぼおらず、2014年には3人にまで減っていました。

そして2022年現在、クスンダ語を流暢に話せるのは、カマラ・カトリ(Kamala Khatri)さんという48歳の女性ただ一人になってしまったのです。

その理由のひとつには、クスンダ族の人々自身が、次代の若者や子どもたちにクスンダ語を伝えようとしなかったことにあります。

彼らは、クスンダ語特有の”複雑さ”から、グローバル化する現代社会では有用性がないと考えたのです。

では、クスンダ語には、どんな言語的特徴があるのでしょうか?

「ノー」が存在しない言語

ネパール・トリブバン大学(Tribhuvan University)の言語学者であるマダブ・ポカレル(Madhav Pokharel)氏は、過去15年にわたり、クスンダ語の研究や記録を行ってきました。

ポカレル氏は、クスンダ語と周辺地域の言語(パキスタンのブルシャスキー語、インドのニハリ語など)との関連性を調べたものの、起源的なつながりはないことがわかっています。

「ネパールにある他のすべての言語グループは、ネパール国外から来た民族に由来していますが、その起源がわからないのはクスンダ語だけなのです」と、ポカレル氏は述べています。

つまり、クスンダ語は、世界のどの言語とも無関係な”孤立した言語”の可能性が高いのです。

言語学者らは現在、クスンダ語は、インド・ヨーロッパ語族やチベット・ビルマ語族が到来する以前に、ヒマラヤ山脈以南で話されていた古代先住民の言語の生き残りであると考えています。

「ノー」が存在しない!ネパールの少数民族が使う「クスンダ語」とは
(画像=クスンダ語のアルファベット / Credit: omniglot、『ナゾロジー』より引用)

その謎めいた背景と並んで、クスンダ語には、奇妙な言語的特徴がたくさんあります。

最も大きな要素の一つに、「文の否定を表す表現がない」ことが挙げられるでしょう。

日本語であれば、「お腹が空いていない」とか「今は外出したくない」のように、否定形を使って気持ちを表現します。

ところが、クスンダ語にはこれがありません。その代わり、肯定文の文脈によって正確な意味が伝えられます。

たとえば、クスンダ語で「お茶はいらない」と表現したい場合、否定形は使わずに、「私はお茶を飲む可能性が非常に低い」ことを伝えて表現するというのです。

それに応じて「イエス・ノー」といった明確な判断基準も存在しません。

加えて、「右・左」といった絶対的な方向を定める基準もなく、代わりに「〜のこちら側」「〜のあちら側」といった相対的な表現が使われます。

こうした、独特の性質や複雑さが、クスンダ語の継承を妨げる要因となったのです。

では、クスンダ語の未来を守ることはできるのでしょうか?