1945年7月15日の朝。工場都市の北海道室蘭市に轟音が鳴り響いた。室蘭艦砲射撃である。太平洋戦争末期、戦局は著しく米側に傾いていた。
室蘭市はこの日、道内唯一の艦砲射撃を受け、まちは廃墟に。民間人ら400人を超える命が失われたという。今年で戦後77年。市内には、当時をしのぶ碑が複数残り、市民らに悲劇を〝語り〟継いでいる。

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軍需都市室蘭
2日間にわたる悪夢

軍需都市室蘭

室蘭は「鉄のまち」である。市内には製鉄大手の日本製鉄(日鉄)、日本製鋼所(日鋼)の事業所があり、製品を輸送する天然の良港も保有している。鉄の需要が高かった昭和の世は景気が良く、学生は卒業時に、両工場のどちらで働くのか選べたらしい。昭和前期の景気に拍車をかけたのは、「戦争」であった。飛行機、大砲、機関銃。これら鉄製の武器は、いくら製造しても足りないほど。両工場にも発注がきており、職人たちは毎日製作に励んだ。

太平洋戦争半ば、アメリカ軍は、圧倒的戦力を見せつけても降伏しない日本本土に、爆撃を開始した。特に狙われたのは軍需工場。戦略的価値があった室蘭も「敵の拠点」として狙われることになったのである。

2日間にわたる悪夢

悪夢は艦砲射撃の前日から続いた。14日、米海軍は道内各地を空襲している。午前5時すぎ、室蘭に空襲警報が鳴り響いた。間もなく、曇り空にグラマンなど艦上戦闘機が大挙して襲来。室蘭港に容赦なく攻撃を浴びせたのである。港内の一部海防艦は沈没、機銃掃射で船員にも犠牲がでた。重油まみれになった人も。治療を行った壕内では、十分な麻酔がない中で患者の足を切断、悲鳴が響き渡っていたという。

翌15日朝。米海軍は艦船で室蘭再び押し寄せた。室蘭の防衛部隊が認知したのが午前8時半ごろ。日鉄や日鋼を砲撃するためである。室蘭沖には、のちに日本が降伏文書に署名したことで知られる「ミズーリ」を含む戦艦3隻、巡洋艦2隻、駆逐艦9隻が並び、午前9時36分から同10時半まで、高さ約2メートル、重さ約1・2キロの砲弾860発を浴びせた。爆弾は爆発のほか、大量の鋭利な破片を撒き散らし、人体を引き裂いた。この攻撃で日鉄、日鋼は壊滅的な打撃を受けている。