死刑囚の長期収容は正しいか?

「現行犯で捕えた者に温かい空間と食事で生かしておくことは税金のムダではないのか?」といった反応が見られた。外国人による反応もあった。

この事件に限らず、京アニ放火やジョーカー事件など、無差別事件の犯人は覚悟を決めて実行している。もとい、「自分では死にきれないから他者の手で葬ってほしい」というある種、社会的な自害と言えるかもしれない。そうした願望の持ち主を、事件直後にスピード執行することが常態化すれば、彼らの願望成就になるという見方ができなくはないだろうか。

もちろん、税金を使ってムダに長期収容をするわけにはいかないのだが、結果的に「死刑が確定してもすぐには死ねない」という共通認識が広がれば、スピード執行を最重要の目的とした者の犯行抑止力になる可能性は残る。

だがこれは難しい。他者の手で死を選びたい犯人の願望と、存命中に刑の執行を待つ遺族との間で揺れ動く問題だからだ。

いずれにせよ、秋葉原事件はこれでようやく終わりを迎えた。残された今を生きる我々に残る課題は、第2の事件をどう未然防止できるか?である。混沌とする情勢が続くが、「普通」のレールからあぶれた者が「無敵の人」化しないための社会の作り方は、依然として明確な答えが出ないままだ。

文・黒坂岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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