私たちは既に並行世界に飛ばされたのかもしれません。

今年の7月5日に、スイスのジュネーブ近郊に存在するCERNの管理する大型ハドロン衝突加速器(LHC)のアップデートが完了し、新たな衝突実験が開始されました。

このアップデートされたLHCによる新たな実験にによって、CERNは3つの未知の粒子を発見したと報告しています。

今後場合によっては、物体に質量を与えることから「神の粒子」とも言われた「ヒッグス粒子」の発見を超える、大発見もあるかもしれません。

しかし、CERNの新しい実験では毎回陰謀論者がおかしな主張を行うのも恒例になっています。

今回、陰謀論者たちが主張しているのは7月5日のCERNの新しい実験によって、別次元の扉(ポータル)が開き、私たちを並行宇宙に引き込んだというものです。

非常に馬鹿馬鹿しい主張ですが、7月5日以降、異常な事件が続いた日本では、何となくそんなことがあったのかもしれないと信じたくなってしまいます。

今回は、CERNの新しい成果と、ついでになぜ平行世界につながるという奇妙な陰謀論が飛び出すのかを合わせて解説していきます。

目次
CERNが新たな3つのエキゾチックな粒子を発見!
陰謀論:大型衝突加速器は並行世界への扉を開く

CERNが新たな3つのエキゾチックな粒子を発見!

CERNの大型粒子加速器が大幅改修され再始動! 陰謀論者「7月5日に私たちは並行世界に飛ばされた!」
(画像=LHCトンネル / Credit:東京大学素粒子物理国際研究センター、『ナゾロジー』より引用)

大型ハドロン衝突加速器(LHC)という施設については、名前は聞いたことがあっても、これがなんなのか知らないという人も多いでしょう。

LHCは27kmにもおよぶ非常に巨大なリング型の施設で、電磁石を用いて陽子を加速させます。

その目的は、高エネルギーで陽子同士を衝突させ、バラバラに粉砕し、そこから弾けとぶ粒子を観測することです。

これによって陽子のような物質(ハドロン)を構成する、更に小さな粒子(素粒子)を検出することができるのです。

こう言われると、まだ何をやっているのか釈然としないものがありますが、簡単に言ってしまえばLHCというのは顕微鏡です。

プレパラートに乗せた池の水に光を当ててそこに含まれる微生物の姿をレンズで検出し観測するのが通常の顕微鏡なら、LHCは陽子に陽子をぶつけてそこに含まれる素粒子をATLAS、CMSという検出器で観測する顕微鏡なのです。

素粒子物理学という見えない世界の物理学が始まってから、物理の世界では、理論によって世界がどうなっているか予測する理論物理学者と、理論通りのことが現実に起きているかを実験して確かめる実験物理学者に分かれてきました。

物理学は現実のさまざまな現象を明らかにするための学問なので、いくらもっともらしい理論が存在しようとも、実験を通して実際それが現実に存在することを目で確認するまでは受け入れません。

そのため、LHCは理論的に予想されている未知の素粒子の存在を、実験して確かめるための施設なのです。

CERNの大型粒子加速器が大幅改修され再始動! 陰謀論者「7月5日に私たちは並行世界に飛ばされた!」
(画像=衝突した粒子が砕けて飛び散る様子 / Credit:Canva、『ナゾロジー』より引用)

こうして見つかる特殊な粒子は、「エキゾチックな粒子」と表現されます。

エキゾチックというのは「通常では見られない特殊な性質」を指す際に物理学者が使う用語です。けして異国情緒あふれるという意味ではないので注意しましょう。

ただ、新しい素粒子というものは、陽子の衝突を1回や2回繰り返した程度は見つけられません。

素粒子の多くは非常に相互作用が小さいため、ほとんどの場合、観測できないのです。

そのため、LHCのような施設はこの陽子衝突実験を1000兆回以上も繰り返します。

そうするとそのうちの数百回程度、未知の粒子が検出されることがあるのです。

なので、新しい粒子の発見では、統計学的にどの程度の確かさで、その粒子を検出できたかという報告の仕方をします。

これには「確か」や「標準偏差(σ)」という値を使います。

物理学者にとって、新しい未知の粒子を「発見」したと呼べる報告は、「99.9999%の確かさ(5σ)」以上のときで、「99.7%の確かさ(3σ)」のときは「兆候がある」という表現に抑えられます。

それ以下のときは、「兆候」という言葉を使うことさえ物理学者はためらいます。

2012年に「神の粒子」と呼ばれ、物体に質量を与えている「ヒッグス粒子」が発見されましたが、これに関するの最初の報告が行われた際には、「兆候が見つかったかもしれない」という発表の仕方がされました。

このときのヒッグス粒子の検出は、「98.9%の確かさ(2.3σ)」でした。

このように、LHCという大規模な設備を使っても、新しい粒子を発見するのは極めて難しい作業です。

粒子発見の精度を上げるには、衝突エネルギーをより大きくし、衝突実験の試行回数を増やす必要があります。

CERNはヒッグス粒子の発見以降、同レベルの大きな発見はなく、比較的静かな時期が続いていたため、この状況を打開すべく、LHCの性能向上を実行することにしました。

そして、3年以上に及ぶ工事の末に衝突エネルギーを既存の8兆電子ボルトから13.6兆電子ボルトまで増強するアップグレードを行い、2022年7月5日に再稼働させたのです。

このアップデートによって、ヒッグス粒子の実験では12インバース・フェムトバーン(衝突数の尺度で、1インバース・フェムトバーンは約100兆回の衝突)だったものが、新たに実施された実験では、280インバース・フェムトバーンまで大幅に増加されました。

こうした新しいLHCの実験で、CERNは新たに3つのエキゾチックな粒子(ハドロン)を発見したと報告したのです。

それは新しい種類の「ペンタクォーク(5つのクォークを持つ粒子)」と、史上初の「テトラクォーク(4つのクォークを持つ粒子)」のペアだといいます。

CERNの大型粒子加速器が大幅改修され再始動! 陰謀論者「7月5日に私たちは並行世界に飛ばされた!」
(画像=新たに発見された3つのハドロン。 / Credit:LHCb news、『ナゾロジー』より引用)

クォークというのは素粒子の一種で、アップ、ダウン、チャーム、ストレンジ、トップ、ボトムの6つのフレーバー(種類)があります。

通常の原子核を構成するような物質(ハドロン)は、2つまたは3つのクォーク(素粒子)で構成されています。

しかし、60年前に、非常に稀ではあるが4つあるいは5つのクォークで構成されるハドロンもあるはずだと理論物理学者によって予想されました。

そして、その予測を証明するハドロンは20年前に始めて実験で発見されましたが、今回それに続く新しいテトラクォーク、ペンタクォークが見つかったのです。

しかも、その発見の標準偏差はペンタクォークが15σ、ペアのテトラクォークはそれぞれ6.5σと8σという非常に高い統計的有意性を持っていたのです。

さきほど、発見における精度について解説したので、これがいかに高い数値であるかということは理解できると思います。

この粒子の正確な性質については、まだよくわかっていませんが、これは紛れもなく宇宙を構成する物質の1つであり、エキゾチックなハドロンの統一モデルを作るために役立つとのこと。

研究者たちは新たな衝突実験によって、現在の物理学の基礎となる「標準模型」の理論を突破するような、新たな粒子の発見が今後も期待できると考えています。

物理学の基礎となる標準模型は素晴らしい理論ですが、近年では標準模型に反するような発見が行われるようになってきたため、更新が必要になってきたからです。

そのための証拠を集めるために、新たなLHCは活躍しそうです。

さて、こうした大きな成果を上げるCERNですが、彼らの仕事は非常に難解であり、しかも素粒子物理学にはSF的な妄想を掻き立てる要因が非常に多いため、陰謀論者たちのターゲットになりがちです。

実際、日本でもCERNの名前をシュタインズゲートのような作品で覚えたなんて人も多いでしょう。

以降は、CERNに降りかかる奇妙な陰謀論について解説していきます。

陰謀論:大型衝突加速器は並行世界への扉を開く

CERNの大型粒子加速器が大幅改修され再始動! 陰謀論者「7月5日に私たちは並行世界に飛ばされた!」
(画像=陰謀論者が「CERNが7月5日に私たちを並行世界」飛ばしたと述べる理由 / Credit:Canva、『ナゾロジー』より引用)

SERNに対するSF妄想的な陰謀論が叫ばれるのは、もはや恒例のことになっていて、LHCの建設計画が発表された当時は、「CERNの実験でブラックホールが作成されて地球が飲み込まれる」という噂が世界的に話題になりました。

これは彼らの行う実験が非常に難解であり、その割には実験内容について世間的な恐怖を煽りやすい単語が多かったこと、莫大な資金がかかっていたことなどが原因にあるのでしょう。

しかし、ブラックホールというものはホーキング放射によって常に蒸発しているため、LHCを使って生成できるサイズのブラックホールは、せいぜいその寿命は10のマイナス27乗秒に過ぎず、人間や地球が飲み込まれることはありません。

そして今回のLHCアップデートに伴って登場した陰謀論は「並行世界」の話になります。

この陰謀論では「大型衝突加速器を起動すると並行世界への扉が開きマンデラ効果が引き起こされる」と主張されています。

マンデラ効果とは「事実と異なる同じ記憶を多くの人々が共有している現象」を指す言葉(ネットスラング)であり、南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラ氏の名に由来します。

なぜマンデラ大統領の名前が使われているかと言えば、マンデラ氏が指導者として存命中だったころに、本物のマンデラ氏は1980年に獄死しているという記憶を持つ人々が多数現れたことに由来します。

陰謀論者によれば、マンデラ効果は並行世界からの影響があった証拠である、とのこと。

そのためCERN(セルン)の大型衝突加速器が並行世界への扉を開けば、マンデラ効果に陥った(並行世界の記憶を持つ)人々が大勢現れると主張しています。

CERNの大型粒子加速器が大幅改修され再始動! 陰謀論者「7月5日に私たちは並行世界に飛ばされた!」
(画像=陰謀論は何を根拠に並行世界を唱えるのだろうか? / Credit:Canva、『ナゾロジー』より引用)

陰謀論者は、大型衝突加速器によって発見される新たな粒子の中には、想像を絶する性質を秘めたものがあり、理論的には「並行世界から迷い込んだ粒子」も存在する可能性がある、としています。

たとえば新たに検出された粒子が既存の粒子と全く性質が同じであるにもかかわらず質量が違う場合、並行世界から迷い込んだ粒子の可能性が高くなるそうです。

加速器の性能が上昇すれば、未知の粒子の検出される可能性が高くなるのは事実であり、その未知の粒子がいかなる性質をもつのか予測不可能なのも事実です。

そして彼らに7月5日のLHCのアップデートによって、私たちは現在の次元から異なる並行宇宙に移行してしまったと考えているようです。

先週から、元首相の暗殺や宗教団体との関与など、とんでもない事件が続いた日本人にとっては、むしろこのふざけた理論で並行宇宙に飛ばされたと考えた方が納得できそうな気もしてしまいます。

しかし当然のことながら検出という行為と、人々を並行世界に転移させるという結果の間には、いかなる因果関係も存在しません。

神の粒子と呼ばれるヒッグス粒子を発見したCERNで行われている研究には、人類の世界認識を変える力があります。

その力を不安や恐怖に結びつけて、注目を集める手法は確かに陰謀論者にとっては魅力的なのかもしれません。

今後もCERNの注目度を利用した噂やイタズラは絶えることはないでしょう。

科学力を背景にした謎の組織CERNというのも、物語の要素としては確かに魅力がありますが、賢明な人はおかしな理屈に飛びつかず、確かな成果にだけ目を向けていきましょう。