今回から数度にわたり「続新産業論」と題して、先が見えないアパレル産業復活の提言を論じたい。ますます収益化の道が閉ざされているかのように見える商社繊維部門、あるいは繊維商社という日本独特の業態である中間流通としての商社が、アパレル産業復活の鍵となる理由を解説し、合わせて商社復活の提言をしたい。
99.7%が中小企業と言われる日本はいま、経済大国としての存続の危機に瀕している。私は、これからはマクロ経済政策もさることながら、各産業における国としての全体ポートフォリオの構築、そして、個別産業政策と個別企業の競争戦略を正しく立案、実行することが重要であるという立場だ。そして、私が最も貢献できるであろう繊維・アパレル産業にフォーカスしたとき、この産業の持つ意味と商社が果たす役割について私見を論じたい。
繊維・アパレル産業は大きな成長産業
世界最大の半導体メーカーTSMCが、ソニー、デンソーなどと共同で、熊本県に工場を作ることが報じられた。投資総額は8000億円を超えるという。世界的な半導体不足から来る産業政策とされているが、考えてみれば半導体産業はその昔日本は世界一だったことを思い出す。生産工場というのは、風船のように膨らませたり破裂させたり、また膨らませたりするようなものではない。そこには蓄積されたノウハウという目に見えない国家資産があり、その産業のソフトまで捨てるというのは、国家戦略の産業ポートフォリオバランスを大きく替える一大事なのだ。私は、こんなところからも、日本国の戦略性のなさを感じざるをえない。
翻って、繊維・アパレル産業というと決まって想起されるイメージは「オワコン産業」だろう。国家の産業ポートフォリオにおいて「撤退産業」というイメージが大きいが、本当にそうだろうかというのが最初に議論したい論点だ。
それではなぜ、その「オワコン産業」において、日本を代表する世界企業の一つである、ファーストリテイリングは、直近の決算で日本と中国という巨大市場で前期実績を下回るも過去最高益を出すことができたのだろうか?
同社は、東南アジアと米国で取り返したからだと説明している。東南アジア諸国は、年率8%近い成長率でGDPを伸ばし、インドと同様、人口は増加の一途をたどっている。当たり前だが、人がいれば服を着、服があればどこかの企業が供給する。繊維・アパレル産業が「オワコン」に見えるのは、日本にある2万社弱のアパレル企業のほとんどが、弱体化し人口減少を遂げている「日本市場だけ」で闘っているからだ。実際、私が注目しているTOKYO BASEも成長の果実は中国市場から得ていることは、すでに過去の論考で「数字」で提示した。実はいま、繊維・アパレル産業は成長市場なのだ。
「日本は資源のない国だから、資源を海外から輸入し、加工して世界に輸出する」というのは、ちょっと日本史をかじった人なら「耳にタコができる」ほど聞いた話だろう。ならば、隣の国で成長産業があり、そして、日本が極めて有利な競争力を持っているとしたら、「なぜ、それをマネタイズしないのか」というのが私の疑問であり、提言である。
繊維産業に商社が果たしてきた役割
ここで、商社の歴史を知らない若い人達のために、日本の商社がなぜ生まれ、なぜいま成長産業である繊維産業にとって商社はなくてはならない存在なのかを説明したい。
伊藤忠商事を筆頭に、丸紅、トーメン(元東洋綿花)、ニチメン(元日本綿花)、兼松など、非財閥系の総合商社は、ほぼ全て繊維問屋だと言うと、今の若い人は驚いて、一様に信じられないという顔をする。
商社というのは、日本の基幹産業の一つだった繊維産業の輸出の担い手だったのだ。今でこそ、伊藤忠商事が、ほぼ全ての繊維産業の中核商社として君臨しているが、そもそもこれら巨大商社は日本からシルクや綿花、ウールから化合線繊維を輸出するために存在したといってもよい。
戦前戦後、日本は官民の連携が極めてうまく行き、製造業は、あたかも日本株式会社生産部、商社が日本株式会社営業部、そして、銀行が日本株式会社経理部の役割を果たし、世界に天然繊維、化合繊繊維を売りまくって国の資産を増やしてきた歴史があった。
だから、バブルが崩壊した1991年、私が商社マンとして入社したイトマンは、100年の歴史を持つ大阪の名門繊維商社だったし、私が配属された海外繊維本部は、旧安宅産業(10大商社の一つ)のエリート部署だった。当時、東京大学を出たエリートは官僚になるか、東レ、東洋紡、カネボウ、帝人などの繊維メーカーに就職し、彼らとお付き合いすることは商社マンとしての醍醐味だった。