苫小牧はライダーにとって北海道の玄関口。東西に二つのフェリーターミナルがあり、東北・関東・中部・北陸・関西など、全国各地と結ばれています。フェリーが着岸すると、車両甲板からたくさんのバイクが飛び出し、道北や道東を目指して走り去ります…

「ちょっと待った!」

遠くへ向かいたい気持ちは分かりますが、苫小牧や近隣の街には立ち寄らないのですか?

苫小牧周辺の街は派手さはないですが、マニア受けしそうな「いぶし銀の魅力」があるんですよ。ウソでないって!

「苫小牧フェリーターミナル周辺の街のディープな楽しみ方!」と題して、Side.A(札幌〜苫小牧)、Side.B(室蘭〜苫小牧)の2回に分けて、地元ライダースでも知らない情報をお伝えします。

目次
開拓時代、国道36号は獣道だった!
【北広島市】クラーク博士の名言が残る場所

開拓時代、国道36号は獣道だった!

【北海道ツーリング】苫小牧フェリーターミナル周辺の街のディープな楽しみ方!Side.A(札幌〜苫小牧)
(画像=『Moto Megane』より引用)

国道36号は、札幌市から苫小牧市を経由し、室蘭市に至る一般国道です。北海道開拓時代の初期は鹿道と呼ばれる狩猟の道だでした。当時はエゾシカやヒグマ、キタキツネやエゾタヌキが闊歩していたのでしょうね。それから約150年が過ぎた現代は道内有数の幹線道路となり、獣に変わって車が往来しています。そんな国道36号線の沿線を寄り道しながらツーリングを楽しみましょう。

【北広島市】クラーク博士の名言が残る場所

【北海道ツーリング】苫小牧フェリーターミナル周辺の街のディープな楽しみ方!Side.A(札幌〜苫小牧)
(画像=『Moto Megane』より引用)

北広島市は、1884年に広島県人25戸103人が入植したのが街の始まりと言われています。1894年に現在の札幌市月寒区(当時は月寒村)から分離独立した際に、移住者の故郷にちなんで「広島村」となり、1968年に町制施行して広島町に改称、1996年に「北広島市」になりました。

カントリーサインには、クラーク博士の姿と「ボーイズビーアンビシャス」の文字が掲げられています。クラーク博士やその言葉は有名ですが、一体どんな人なのか。知らない人が多いと思うので説明します。

【北海道ツーリング】苫小牧フェリーターミナル周辺の街のディープな楽しみ方!Side.A(札幌〜苫小牧)
(画像=『Moto Megane』より引用)

ウィリアム・スミス・クラークはアメリカ人の教育者で、1876年に開校した札幌農学校(現・北海道大学)の初代教頭として来日しました。「校長」ではなく、「教頭」なんですね~。

札幌で過ごしたのはたったの9か月間という短さ。帰国直前に北広島にある「島松駅逓所」に立ち寄り、交友を深めていた4代目駅逓取扱人の中山久蔵に別れを告げたと言われています。その際に学生たちに「Boys, be ambitious(青年よ、大志を懐け)」という名言を残しました。

しかしこの発言には諸説あり、そんなに重い言葉ではなく「学生さんたちも頑張りな」的な軽い励ましだったとも言われています。ちなみに羊ヶ丘展望台のクラーク像が有名ですが、クラーク博士は一度も羊ヶ丘を訪れていません!

※駅逓:交通不便の地に駅舎と人馬を備え、宿泊や人馬の継立、運送などの便をはかるために設置されたもの。

【北海道ツーリング】苫小牧フェリーターミナル周辺の街のディープな楽しみ方!Side.A(札幌〜苫小牧)
(画像=『Moto Megane』より引用)

帰国後のクラーク博士は、事業で失敗したり、訴訟を起こされたりと、踏んだり蹴ったりな人生だったそうです。心臓病のため59歳で亡くなりましたが、「札幌にいた9か月間が自身にとって輝かしいときだった」と語っていたそうです。そりゃそうでしょうね。