【転】
では、なぜ、民主主義は劣化するのか。人に支えられているのが民主主義である以上、民主主義の劣化とは、それを支える人の劣化であることには相異ない。アリストテレスを待つまでもなく、民主主義下においては、国民のレベル以上の政治家を望むことは無理であり、「国民の劣化=民主主義の劣化」であることは自明だ。
人の劣化とは、更に言えば、心を落ち着けてバランスよくしっかりと考える能力の低下に他ならない。裏を返せば、容易に「扇動者」(デマゴーグ)の言説に心が動かされてしまう態度、或いは何に対しても心が動かないような態度のことである。
それらは、思想家として筆者が尊敬する佐伯啓思氏の見解を私なりに解釈すれば、①偏った考えに容易に熱狂してしまう態度(熱狂主義:ファナティシズム)、②現実を直視せず、面倒くさいことを考えずに快楽・楽しいことに突き進む態度(快楽主義:ヘドニズム)、③何事も当事者としてではなく、斜めに眺め、冷笑的になる態度(冷笑主義:シニシズム)、④極端に数字や合理など、いわば目に見えるものだけを信奉して判断する態度(科学主義:サイエンティズム)に大別される。
これら、いずれかの態度にベットする(過度に寄りかかる)のは、ある意味で楽なことであるが、皆がそうなってしまうと、当然に民主主義は劣化する。乱暴に分ければ、パンとサーカスだけを望む民衆か、冷めた態度に終始する民衆化に二分されてしまう。
【結】
7月10日投開票の参議院選挙が迫っている。一部の熱狂主義者を除いて、残念ながら盛り上がりにはかけているように見受けられる。偏った私見かもしれないが、私の知るかぎり、即ち、民主主義を守るために、真剣に政治を考えて一票を投じようという人は、残念ながら、ほぼいないということだ。
私の上司でもあったこともある玉木雄一郎氏(国民民主党)は、少し前に雑談した際にこんなことを述べていた。「朝比奈君、真ん中というのは、是々非々というのは、なかなか大変だよ。ネット社会が広がるにつれ、真ん中というのは、右からも左からも叩かれる。右や左は、反対側から叩かれもするが、仲間がいるので防壁も出来る。真ん中は、仲間がおらず(見えず)、叩かれる一方だ」
マックス・ヴェーバーは、かつて、『職業としての政治』の中で、「政治とは、情熱と判断力の二つを同時に用いて、堅い板に力を込めてだんだんと穴をくり抜いていく作業である」と喝破した。違う意見を様々に調整して合意を得て物事を動かして行くのが政治とも言える。
国民全員に、バランスの取れた、地に足のついたしっかりとした姿勢で物事を判断するように求めるのはどだい無理とは承知しているが、せめて、ある程度の数(出来ればマジョリティ)がそうならないと、民主主義は立ち行かず、極論のぶつかり合いの中で崩壊してしまう。
聞く耳だけで、大人過ぎて、何も動かないのも困るし(岩盤をくり抜く作業をしてくれないのも困るし)、騒いでばかりの子ども過ぎて、合意が得られず何事も動かないのもまた困りものだ。
さて、誰に投票したものであろうか。世界や地域をじっくりと眺めて、断固として一票を投じたいものである。
■
参院選そのものについての見解は、本メルマガにもURLを掲載している、JB Pressでの拙稿を是非ご覧ください。
文・朝比奈 一郎/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
【関連記事】
・「お金くばりおじさん」を批判する「何もしないおじさん」
・大人の発達障害検査をしに行った時の話
・反原発国はオーストリアに続け?
・SNSが「凶器」となった歴史:『炎上するバカさせるバカ』
・強迫的に縁起をかついではいませんか?